上の子に協調性がないとわかった時、

義父母は「こっち(夫)の遺伝」と言った。

 

卑怯者の私は何も言わなかったけど、

私も協調性がない。

 

集団の中に入ると、めちゃくちゃ疲れる。

 

「和気あいあい」

この言葉とは無縁なほど根暗なのである。

 

群れない私を母は心配してたけど、

友達とは話したい時に話す、

それぐらいの距離感が私は好きだった。

 

でも転入した学校で

クラス全員に無視された時、

孤独に押しつぶされそうになった。

 

あまりに辛くて

私は人に合わせるようになった。

 

学校では、とにかく我慢した。

 

でもその分、家で爆発して

私が15歳の頃、母は家出した。

 

「出て行って!!」と罵って

母を追い出したんだと思う。

 

母が残した手紙には

こんな内容のことが書いてあった。

 

おばあちゃん(母の母)の家には

行かないから、連絡しないで。

おばあちゃんが心配するから

絶対しないで。

 

祖母の家に行くと思ってた私は

愕然とした。

 

携帯のない時代、

自分のしたことを後悔して

謝りたいと思っても

そのことを伝える手段がなかった。

 

母が帰ってこなかったら

どうしよう。

 

「ごめん」

 

この言葉が伝えられなかったら

どうしよう。

 

そう思ってたら朝になり

私は学校に行ったけど、気になって

公衆電話から母の職場に電話した。


母はいて、

「ごめん」と言ったのは母だった。

 

行くところがなくて

近所のホテルに泊まったと

家に帰ってきた母に聞いた。


素直ではない私は

「もぅちょっと不満」と言ったけど、

母がいることに心底ほっとした。

 

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夫と上の子と喧嘩すると、

家出したいと思うことがある。

 

その度に「母がいたら」と思う。

 

そう思うと、たまらなく寂しくなるので

なるべく喧嘩しないようにしてるけど、

もしいざいても

頼れなかったかもしれない。


「息子達には幸せになってほしい」


そう私が思ってるように

母も思ってくれてるとしたら

心配させてしまう気がして。


実家が裕福な友人も、

心配させたくないのかもしれないと

ブログを書いた後ふと思った。


でも、辛いことがあったら

1人で抱え込まないで

なんでも話してほしいと思うので

どっちがいいんでしょうね。

 

お読みいただきありがとうございました。