nước Lâm Ấp(後のチェム・タイン、占城、160年代)の建国もこの頃だったと思います。ただ、黎聖宗(1491年に滅ぼされる)に主力が敗れ、王と王女は捕縛され、1万人以上の兵士が捕虜になった。ただ、捕虜は、現在の嶺南(リン・ナム)地区の開墾をするよう命を受け解放された。それが、現在の嶺南地域に残されている。
ちょっと、話は変わりますが、当時全盛にあったチャム人の遺跡を紹介いたします。
ベトナムには現在、54の民族が生活していますが、このチャム族も現在でこそ数千人ですが、当時は数万の人がおり、ベトナムの南部で生活していました。
前記したように、李朝・陳朝・黎朝の時代に、くっついたり離れたりしながら争いを続けていましたが、1491年、黎聖宗の攻めにあって、主力が敗れ、その後、ニャチャン近くで、細々と生活しています。
かなり傷んでいますが、ニャチャンに残るボーナガールの遺跡です。
上の写真は、かなり古いものですが、現代のチャム人の遺跡です。
下は現在の嶺南地域の光景です。
ここからはそのチャム人が開墾して造った村が残されているので紹介いたします。
現在、4番のバスが走る嶺南通りの路上市場。
これは、中立村に残されている文化・歴史遺跡です。
そこの特徴は村に残されている神社に祀られている城隍です。
タインホアンと呼ばれていますが、その名残りの村は、5ヵ村あり、新開村(làng Tân Khai)・中立村(làng Trung Lập)・東天村(làng Đông Thiên)・永興村(làng Vĩnh Hưng)・上村(làng Thượng)です。
この5ヵ村に祀られている城隍(タインホアン・守護神)の雅吉王(ニャー・カット、Nhà Cát)と皇后の月娥王女(グエット・ガー、Nguyệt Ngã)の像。
対句に残された黎朝期に永緩(Vĩnh Thụy)を開拓したという。
上記の5ヵ村には、チャムの王と王女を祀った祭壇が建立され、昔を偲んでいます。ただ、不思議と像は全て顔や形が違っています。
これはベトナム人の不思議ですね。
あれだけ、何でもコピーする文化のあるベトナムですが、真似はしません。
寺に祀られている陳興道(チャン・フン・ダオ)像が全て違います。