崇山祠(清化省)は柳杏は降臨した地です。

 崇山祠は、漢に反抗した二徴姉妹(Hai Bà Trưng)と同じように、呉朝に反抗した趙夫人を祀る清化省の墓を過ぎた先にある。そこには、248年に呉朝が交州(Giao Châu)の太守に陸胤(Lục Dận)を就けた。陸胤の悪政に反抗した、兄を援け、当時、九真郡(Cửu Chân)に趙氏鉦(Triệu Thị Chinh)がおり、呉朝に反抗して、蜂起の旗をあげた。

 最近、このバーチエウを祀る祠がこの近くに建立されたそうで、行ってみたいのですが、ベトナム人にはあまり人気がないようです。

 歴史書によると、兄の趙国達(Triệu Quố Đạt)と一緒に、20歳の妹の鉦は、兄を援け呉朝と戦ったが敗れ自刃した。当時23歳であった。

 上記を翻訳すると、

 伝説によると、柳杏聖母は、瓊娘(Quỳnh Nương)といい、玉皇上帝(道教)の姫です。

 瓊娘は父が大事にしていた玉露の茶碗を割ってしまい、罰として下界に追放された。それで天本県雲吉の安泰村(現在の南定省武本)の黎字直(Lê Tự Thắng

)の子どもになった。

 そして、罰が解けると父の元に戻った。

 天に戻った瓊娘は、下界のことが忘れられず、泣いて過ごしていた。

 それを可哀そうに思った父は、塵芥に戻した。そして、馮克寛(Phùng Khắc Khoàn)と府西湖で詩を作ったりして楽しんだ。

 その他、黎王を援け、チャム軍を追い返した。 

 ここでも祭壇に祈願文を捧げ、後に焼いて、煙にして、天に届け、祈願を願います

 

巡礼に関しては、詳しくは、Kindleで出版している「聖母巡礼」をご覧ください。

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