「作曲」を教える | ぢゅ@メラゾーマPのブログ(ソシャゲ)

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ソシャゲプロデューサー歴4年のぐだぐだ人間によるブログ。ボカロPもしてました。最近の興味は地方創生。





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「ちっちゃい子に『作曲』を教えることになったとき、

 私ならどう教えるか。」

という問題を、昔からときどき考えてたりする ぢゅ@めらぞま です。




YAMAHA音楽教室がどう教えているか・・・等を、

模倣すればいいのかもしれないけど、

自分で考えてみるのも難しくて楽しい。




ただ、「今、自分はどうやって作曲しているか」・・・が、

よくわかっていないという絶望感(笑)




作曲は、「しゃべる」という行為とよく似ていて、

なんとなく頭は動いているんだろうけど、

論理的な思考を介せずに、

「自然」とできてしまうもの。




きっと、

いろんな曲を聴いてきて、

いろんな曲を耳コピしたり弾いたりして、

いっぱい曲を作ってきて、

「自然」になってきたんだと思う。




だから、

他の方もよく言うように、

いろんな曲を聴いて耳コピさせると、

作曲はかなりできるようになってくるんだろうと思う。




でもね、

ちょっとしたセンスみたいなものも大事よね。




「センス」は、

中二病のカタマリのような単語だけど、

もっと普通ワードに言い換えてみると、

「微妙な違いに気がつく」ってことなんだと思う。




それは、

いろんな気づきを繰り返すことで体得できるもので、

私の場合は、大学でクラシックギターやってたとき、

先生や仲間たちと、

ここはこう弾くともっとカッコいいよ とか、

こういう弾き方をするとちょっとイヤラシイよね とか、

教えられたり、教えあったりした経験が、

いい意味でセンスの蓄積になった。




だから、

作曲を教える相手には、

この曲はこの部分の強弱がカッコいいよね とか、

この音のはねる感じがかわいいんだよね とか、

そういう語りかけをいっぱいして、

たくさんのセンスをプレゼントしていきたい。




・・・と、ここまで考えてみたけども、

これくらいだったら、

将来的にはプログラムが自動で作曲できてしまうレベルだと思う。




となると、

聴く人の感情をゆさぶるような、自分の世界観を打ち出せる、

そんなところまでを目指さないといけないような気もする。




そのためには、

きっと、音楽だけじゃない、いろんな経験をさせることが、

大事になってくるのかもしれないね。

その経験って具体的に何なのかは、いまいちピンとこないけど。




音楽って、大人になると飽きてくる人が多いんだ。

そのひとつの理由は、

「目新しさがなくなってくる。」




子供のころは、

大人では聴きなれすぎてしまった童謡でも楽しく感じられるけど、

じょじょに飽きてきて、

強い刺激だったり、新しい雰囲気を求めたりする。




今は、日本で触れる音楽も多様化・大量化してきて、

アニソン牽引のもと、複雑で刺激的な音楽が、

子供の耳にも届きやすくなって、




結果、音楽への飽きも早くなって来てるんじゃないかな。

上手に作っていて昔だったら流行りそうな曲でも、

それ以上がないと、今ではスルーされたりするし。




ということもあり、

聴く人の感情をゆさぶるような、自分の世界観を打ち出せる…

と、さっきは書いたけど、

私が誰かに作曲を教えるのであれば、

そんなところに手が届く作り手にしてあげたい。

と思う。




という、長文。