「おかあさん、もしナオが死んでも暗くなっちゃダメだよ。明るく元気に生きなきゃダメだよ。わかった?」
そんな言葉を、病と闘っている我が子から言われたら、心臓をギュッとしめつけられてしまいますよね。
「代われるものなら代わってあげたい」
もがき苦しむ我が子の姿を目の当たりにしながら、その姿を見守り、願うことしかできない親の辛さは、地獄の業火に焼かれるのにまさるものではないでしょうか。
『がんばれば幸せになれるよ』
小児がんと闘ったわが子の姿を母が記したこの本には、9歳の少年が母にあてた励ましの言葉がいっぱいつまっています。
山崎直也くんは、5歳の時に病魔に襲われました
「ユーイング肉腫」
10万人に1人といわれる子どもに多く発生する骨のがんです。
大変強い疼痛が特徴で、同じ悪性の骨腫瘍である骨肉腫よりも強いことがしばしば。体中に転移しやすく強い抗がん剤で治療しなければならない難病です。
子どもにはあまりにも過酷な治療。直也くんは痛みに耐え、必死に病と闘っていました。しかし、2001年6月、がんは全身に転移し、もはやなすすべもない状態になってしまいます。
目は開き身体はよじれ、直也くんは悲鳴とも絶叫ともつかない声で
「苦しい!息ができない!」と訴えます。
もうダメかもしれない。お母さんは我を失い、泣き叫びパニックに陥りました。
叫びながら病院中をかけめぐり、主治医を探しますが研修医しか見つかりません。
病状がおさまらない我が子を目にし、半狂乱になり周りに怒りをぶつけてしまいます。
「何もできないんだったら、あっちへ行ってよ!」
しばらくして、処置が効き始め、直也くんの呼吸が落ち着きました。
ほっとし、たちつくすお母さんが医師から告げられたのは
「今は落ち着いていますが、おそらくあと半日ぐらいだと思います。」との残酷な告知。
病室に戻り、平静を装うと必死のお母さん。その気持ちをいち早く察知したのは直也くんでした。
「おかあさん、さっきナオがあのまま苦しんで死んだら、おかしくなっていたでしょ。
だからナオ、がんばったんだよ。
それでも苦しかったけど。おかあさんがナオのためにしてくれたこと、ナオはちゃんとわかっていたよ。
『先生早く!』って叫んでいたよね。でも安心して。ナオはああいう死に方はしないから。
ナオはおじいさんになるまで生きたいんだ。おじいさんになるまで生きるんだ。
がんばれば、最後は必ず幸せになれるんだ。苦しいことがあったけど、最後は必ずだいじょうぶ」
そう、優しく母をさとすように語りかけたのです。
半日の命といわれた直也くん。しかし、彼は渾身の力を振り絞って頑張ります。
『夜10時過ぎ、直也は突然落ち着かない様子で、体を前に泳がせるようなしぐさをしました。
「前へ行くんだ。前へ進むんだ。みんなで前に行こう!」
びっくりするほど大きな力強い声です。そして、まるで、迫り来る死と闘っているかのように固く歯を食いしばっています。ギーギーという歯ぎしりの音が聞こえるほどです。やせ衰えて、体を動かす元気もなくなっていた直也のどこにこれだけの力があったのかと驚くほど、力強く体を前進させます。』
また、直也くんは周りの人たちにも優しく語りかけていました。
『ある日、私が病院に行くと、主任看護婦さんが、「おかあさん、私、今日、ナオちゃんには感動したというか、本当にすごいなと思ったんだけど」と駆け寄ってきました。直也は、
「この痛みを主任さんにもわかってもらいたいな。わかったら、またナオに返してくれればいいから」
といったそうです。「えっ、痛みをまたナオちゃんに返していいの?」とびっくりして聞くと、
「いいよ」
と答えたそうです。
「代われるものなら代わってあげたい」。よく私もそういっていました。でも直也はそのたびに力を込めて「ダメだよ」とかぶりを振り、
「ナオでいいんだよ。ナオじゃなきゃ耐えられない。おかあさんじゃ無理だよ」
きっぱりとそういうのです。』
どちらが大人かわからないくらいのあたたかい気遣いと深い愛を感じます。
死の告知をうわまわり、2週間後、直也くんは静かに息をひきとったそうです。
お母さんは泣きませんでした。それは、直也くんの命は永遠に生き続けている、肉体が滅びても直也くんは生きていると固く信じていたからです。
「身は滅びても命は永遠だよ。」
と直也くんはお母さんに話していたのですね。
「最後まで生きることをあきらめなかった直也の姿は、
私たち家族に、そしてたくさんの人たちに、勇気と励ましを与えてくれました。」
とお母さんは語ってくれました。
直也君と共に信じ、闘いきったお母さん、そして、最後まで頑張りぬいた直也君の心あたたまる言葉は、これからも全ての人へのエールとなるでしょう。
参考:『がんばれば、幸せになれるよ―小児がんと闘った9歳の息子が遺した言葉 』(小学館文庫)