「高額年俸より広島愛」(中国新聞・2014年12月27日付の運動面)
黒田博樹投手は、
2014年、メージャーリーグからの高年俸の提示を蹴って、
古巣広島に戻ることを決断しました。
あらゆる価値判断が金額で決まるドライな世界に、
「現代のおとぎ話」のようなストーリー。
2014年の暮れ、広島に幾万幾千の赤い涙が流れました。
今の日本でこの男ほど、
「男気」
「男らしい」
「サムライ魂」
という言葉が似合う人物はいないのではないでしょうか。
黒田は典型的な遅咲きの投手。
高校時代の序列は3番手の投手で、
頭角を現してきたのは大学に入ってから。
1996年、ドラフト逆指名2位で広島東洋カープに入団。
初年度は6勝を挙げたが、同期でドラフト1位で入団した
澤崎は12勝を挙げ、新人王を獲得しました。
その後、
2005年、最多勝利
2006年最優秀防御率賞
を獲得。
2006年にFA権を取得し、他球団へ自由に移籍することが
できるようになりました。
それまでの数年間で、広島の主力が同じリーグで戦う
阪神などへ移籍するケースが相次いでいたため、
「ついに黒田もか」と言われました。
FA移籍の情報が各スポーツ紙を賑わせている中、
ファンが動き、広島市民球場外野席に巨大横断幕を掲げました。
それには次のように書かれていました。
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我々は共に闘って来た
今までもこれからも…
未来へ輝くその日まで
君が涙を流すなら 君の涙になってやる
Carpのエース 黒田博樹
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更にシーズン最終登板試合には満員のファンが黒田の背番号15の
赤いプラカードを掲げ球場を赤色に染め上げました。
黒田は後に「あのファンの気持ちは大きかった」と述べています。
結局この年、他球団から破格の好条件を提示されたにも関わらず、
広島と複数年契約をしました。
彼は広島に残る理由として、
「共に戦ってきたカープのファンと選手を相手にボールを投げるのは想像できなかった」
と語りました。
しかも、
「今後も国内他球団の移籍はない」と明言し、
国内なら「生涯広島」を宣言しました。
黒田博樹男気伝説はここから始まりました!
2008年、黒田はメジャーリーグに挑戦します。
当時のメジャーから黒田に対する評価は決して高くなく、
阪神のほうがはるかに好条件を提示していたといいます。
しかし、黒田は先の言葉通り、「国内他球団」に
移籍することなく、アメリカに渡りました。
黒田の日米通算成績(2014年まで)は、182勝168敗。
しかし、黒田は所属した日米3球団すべてで打線が弱く、
援護に恵まれなかった不運がありました。
そのため、通算の勝ち星などは、ごく表面的な数字で、
実際の価値ははるかに大きいといえます。
2014年にはメジャー通算で、
QS(クオリティスタート、6回以上を投げて自責3以下)を達成した試合で
30敗目を喫しました。
この数字は過去7年間でメジャー最多でした。
つまりそれだけ打線の援護がなかったということ。
しかし、勝ち星よりQSを重視するメジャーでは
非常に高い評価を受けていました。
2014年、ヤンキースからは必死の引き留めが行われました。
ヤンキースのみならず多くの他球団からも、
20億円前後の超高額年俸が提示されました。
そして、黒田が出した結論は、
「花から根へ」
メジャーリーグの21億を蹴って4億の古巣広島に
戻る決断をしました。
最後に、スポーツ記者の田代学氏が寄稿した文章を
引用させていただきます。
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【不言実行の男・黒田に泣かされた… ダッグアウトの裏側】
もう書かせてもらってもいいだろう。米大リーグから8年ぶりの広島復帰を決めた
黒田博樹投手(39)には、泣かされたことがある。
2012年のシーズン中だった。その2年前の夏に、
幼いころから熱狂的な広島ファンだった実弟が急逝。
当時ヤンキース担当だった筆者は試合前のクラブハウスで黒田に
「弟の三回忌に出るため一時帰国します」とあいさつした。
試合後は、普段通りにクラブハウス内で取材。
引き揚げようとしたところで、二村健次通訳(現レンジャーズ)から呼び止められた。
「これ、さっき帰った黒田さんからです」と手渡されたバッグの中には、
試合で使ったスパイクやサイン入りのアンダーシャツなどが入っていた。
この心遣いには筆者以上に両親が感激。
黒田に感謝しながら三回忌の墓前に供える姿が、涙でかすんだ。
そんな黒田だからこそ、広島復帰にも慎重な姿勢を貫いていた。
ヤンキースでの昨季年俸は1600万ドル(約19億円)。
古巣だからと年俸額を度外視して復帰すれば、FA市場の相場を破壊し、
大リーグでプレーしている他の日本人選手に迷惑がかかると憂慮していた。
今後のFA交渉の席で「高年俸で大リーグに残ることができた黒田でさえ、
古巣のために低い年俸で戻ってきたじゃないか」と、日本の球団に悪用される
ことを恐れていた。
今季の年俸は4億円(推定)プラス出来高。
それでも復帰へと傾いたのは、広島市を昨年襲った土砂災害が
きっかけになったと思っている。
オフに入ると黒田はひそかに現地を訪れ、被災者やボランティアを励ましたという。
来月10日で40歳。
復興の願いを投球に込め、残り少ない現役生活を広島にささげる決断をしたのだろう。
黙って行動する男らしい選択。
再びカープのユニホームで投げる姿を、弟にも見てほしかった。
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引用;夕刊フジ 2015年1月31日(土)
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