この世の中に「絶対」はない。

わかっている。わかっていたはずだった。

幾多の困難を乗り越え帰還してきた男の、はにかんだような笑顔。

人懐っこい笑顔を浮かべていた男の、ひょうひょうとした佇まい。

このふたりは何があっても「絶対」帰ってくる…そしてわたくしはテレビで「あの人たちまーたあんなとこ登って!」とわくわくしながら、ふたりが未踏峰に挑むのを見つめるはずだった。

 

平出和也さん。

中島健郎さん。

 

ふたりがK2の未踏峰ルートを登攀中に滑落した、と聞いたのは7月の終わり頃だった。その直前に別の山で日本人の登山家が遭難したという知らせもあり、しばらくは混乱していた。こんな短いスパンで遭難事故など起こるはずがない、何かの間違いだと…

けれど、「未踏峰」と聞き、心のどこかで確信もしてしまっていたのだ。平出さんと中島さんの顔が浮かんでは必死でそれを打ち消す。

 

わたくしがいつから登山というものに興味を抱いたのかは自分でもよくわからない。

もちろん自分はまったくそういうことに向いていないし、登山家と呼ばれる人たちについては否定こそしないが共感もできなかった。

それが、「アンナプルナ」と呼ばれる7000メートル級の山の姿を見た時、テレビの画面越しからも伝わる恐怖に似た荘厳さと美しさに心を奪われてしまった。そして、ここを登りつめた人がいるのだと、胸が少し高鳴った。説明を聞けば、雪崩が高頻度で起き巨大な氷の岩が行く手を拒む、ここで命を落とす登山家が多いとのこと。そして、ヒマラヤ山脈・カラコルム山脈にはそういった山が多数あるのだと知った。

 

動画などでそういった世界の山々を見ていたある時、NHK-BSで平出さんと中島さんがカラコルム山脈のひとつである「シスパーレ」に登るという番組を見る機会があった。アルパインスタイルという、酸素ボンベを用いず何ポイントかでテントを張り高度に順応しながら頂上を目指す方法で、未踏峰ルートを登攀する。高度が上がるにつれスタッフたちと別れ、いよいよ頂上にアタックをかける時は持ってきた食料や燃料は最小限、削ぎ落されたたったふたりの登山家、それだけになるのだ。

シスパーレの頂上から見る空の究極的な美しさ。

平出さんはかつての登山のパートナーで、北海道の大雪山で遭難死した谷口けいさんの写真を雪に埋めた。谷口さんが生きていれば、ここに共にいたかもしれないのだ。

そして中島さん。登山家、冒険家という人たちは何度も危険な目に遭ってきているのだから、表情にストイックさが漂いともすれば近寄りがたいイメージがあった。でも中島さんはカメラの前ではいつも笑顔で、何とはなしに安心感が伝わってくるような人という印象だった。

下山時、猛吹雪に襲われ下にいるスタッフと連絡が取れなくなった。

それでもスタッフの心配をよそに、本当にひょっこりという感じで無事に下山した。

 

だから。

今回もそんな風に結局彼らは無事なんだと、勝手に思っていたのだ。

未踏峰の登攀ということで救助も困難で、彼らの生死は不明という。

だから。

心に余地ができてしまったのだ。

彼らはまだそこで生きていて、救助を待っているだけなのではないのだろうか?と願う気持ちが。

 

会ったこともない、一方的なファンというだけだったけれど、情報が入らない日は何もする気が起きず、ただ淡々と日々の暮らしをやり過ごすだけになっていた。

救出しようとして二次遭難事故が起きるということは重々承知のうえで、何故助けられないのかと苛立つ気持ちもあった。

 

そして8月23日。彼らが所属する石井スポーツが、「最終報告」と「哀悼の意」をホームページに掲載した。

8611メートルのK2の未踏峰ルートを登攀中、7750メートル地点で滑落。

ふたりはメインロープで互いの体が繋がったまま、1000メートル以上氷の塊とともに落ちて行ったのだという。

ヘリでの救出は困難を極め、断念せざるを得なかったと…

状況を想像すれば、涙など出る余裕はなかった。

この凄まじい現実を受け入れるより他はないと思った。

 

その一方で、心にできた「余地」で想像し自分に言い聞かせてもいる。

「あのふたりはずっと山にいる」のだと。

哀悼の意を捧げないといけないのはわかっているけれど、まだそれをできないでいるのが正直な今の気持ちでもあるのだ。

 

きっとこれからも世界の山に挑み帰ってこない登山家はいることだろう。

「なんでわざわざそんな危ない目に遭いに行くのか」と呆れる人たちもたくさんいるだろう。

でもわたくしはそれでも、自分の人生のほぼ全てをひとつの事に賭けるその生き方を尊重するし、肯定したい。