私は職業柄多くの人たちが努力する姿を数多く見てきた。
その中で聞こえてきたのは成功の喜びよりも挫折のうめき声が圧倒的に多かった。
かくいう私自身も多数派であると思う。
ただし、それは本当の意味での挫折ではない場合ばかりであった。
この国では人はみな幸福になる権利があるという。
にも関わらず幸せではないと感じている人間が多いのはどういったことだろう。
人の可能性に限りはある、そして才能がないと言ってあきらめる人間は多い。
ただ一度考えてみてほしい、努力をしてその限界まで辿り着いた人間というのはどれだけの数がいるのだろうか?
私が人生の中で感じたのは、本当の意味で挫折をできた人間というのは最大限に不幸ではあるが同時に最高に立派な人間であるという事だ。
そんな人間は現代の日本では特に少ない事であろう。
ほとんどの人間が限界まで努力することをせず、怠惰を才能不足として逃げている。
怠惰でいられることが幸せだとしても、それをより求めるものに近づけるための努力はいくらでもあるだろう。
私はこの国の文化や歴史は嫌いではない、ただし現代社会はあまり好きではない。
人間失格ではないが、私はこれまで恥の多い人生を歩んできた。出る杭は打たれ、周りに迎合する事が正義となるそんな考え方にふてくされて、怠惰である理由にして、努力をしてくることが無かった。
これは人間失格などではなく動物失格でさえあるのではなかろうか?
私はまず動物としてあることが出来るようになりたい。
そして人間でもありたい。
だから最初は精一杯生きている動物になる、次に周囲の事を考えることが出来る人間になっていきたい。
これからこのブログでは様々な活動の報告や同意していただける方へのメッセージを発信していこうと思う。
皆さんには是非、この「動物失格」が人間になることが出来るか否かを見守って頂ければと思う。
