恩田陸『灰の劇場』(河出書房新社)



1994年9月、新聞に小さな死亡記事が載った。

4月29日、西多摩郡奥多摩町の北氷川橋から女性2人が飛び降りて死亡した。
女性の身元は大田区のマンションに同居していたAさん(45)、Bさん(44)と判明。
2人は都内の私立大学の同級生だった


駆け出しの頃にこの記事を読んだ、著者の恩田さん。
以来ずっと自分の中で棘のように突き刺さっていたという。



本作はこの記事に着想を得た小説。

恩田さんらしき小説家の「私」を主人公にした「0の章」と、
飛び降りた2人の女性「M」と「T」が主人公の「1の章」が交互に書かれる。


20年後、記事を再び読んだ「私」は、彼女たちの半生を舞台劇にしようと決める。

彼女たちはなぜ死を選んだのか。
彼女たちのことを何も知らない自分が作品を作ってしまって良いのか。
舞台化の準備が進む中、「私」は自問自答を続けていく。


大学で仲の良かったMとT。
卒業後、Mは会社でバリバリ働き、Tはすぐ仕事を辞めて家庭に入った。
今のTはとても遠い存在。自分は単なるTの友人その1だ。
そんなMの考えは、Tが離婚して「会いたい」と連絡してきたことで一変する。

再会した2人は成り行き的にアパートで共同生活を始める。
「ちょっと羽根を休めて、一緒に一休み」。
2人とも最初はそう思っていた――



***



登場人物には名前が無く、基本イニシャルのみ。
MとTの描き方も曖昧で、どんな暮らしをしていたのか、お互いをどう思っていたのかよくわからない。
だから小説としては物足りないけど、その分「どこでも起こり得る話」になっていて、妙にリアリティがある。
 

 

「日常」は決して盤石でもなく、保証されたものでもない。本当の「日常」という文字が完全に左右対称ではないように、それは半ば幻想の上に築かれたもので、よくみるとふるふると全体が震えている

―P246より



アパートでの共同生活は2人の新しい日常になった。
一時の休息のつもりが案外居心地が良くて、気付けば何年も一緒に暮らしていた。
だからこそ、今の日常が壊れるのは怖かった。
そして自分たちの未来を想像することもできなかった。


 

あたしたちはずっとこのままで、あのアパートで、一緒に老いていく。次のステージなどなく、ここから動けず(動かず?)、ずっとここにいる

―P184より



どちらかがどちらかを説得したんだろうか。
「今の幸せを永遠にしちゃおうよ」って。



……まだ死ぬには早いような気がするけど。
「ずっとここにいる」ってそんなに悪いことか?と思ってしまう。

(今ほど女性の自立が叫ばれていなかったにしても)


2人に決意させた最後のきっかけは、本当に些細な出来事。
ある時フッと境界線を越えてしまうことってあるのかな。



もちろんこれは小説なので、実際何があったのかはわからない。
お金が無かったのかもしれないし、病気だったのかもしれないし、恋人同士だったかもしれない(私は真っ先にこれを考えた)。

いくら想像しても答えなんて出ないし、彼女たちもそれは望んでいないだろう。
MとTの幽霊?が「私」にあんな態度を取ったのもわかる気がする。
これ以上は多分踏み込んじゃいけない。



2人が去った後の、誰もいない部屋の様子が物悲しかった。
 

 

夜明けの沈黙と同じくらい、いや、それ以上に静かな部屋。
それでいて、個々に住んでいた者の気配が、まだそこここに残っている。

女たちの会話が聞こえてきそうにすら思える
―P256より


 

 

 





***



今日も読んでいただきありがとうございます。

それではまた。