生きていくあなたへ | 遠隔浄化と気づきのお手伝い

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「みんなちがってみんないい」遠隔浄化と気づきにより、
人生を幸せに生きるお手伝いをさせて頂きます。ご縁に感謝。


「生きていくあなたへ」
105歳どうしても遺したかった言葉
日野原重明

聖路加国際病院名誉院長をされていた
日野原重明先生が2017年7月18日にお亡く
なりになりました。

この本は先生が望まれた「対話」の形をとる
ために、2016年12月29日から、年末年始を
除き1月31日までほぼ毎日、ご自宅のリビン
グルームで行ったインタビューをもとに作られています。

*105歳になられた日野原先生、
死ぬのはこわくないのですか?

恐ろしい・・・。
あなたにそう聞かれるだけで恐ろしい。

朝起きて自分が生きているということが、
心から嬉しいのです。
生きているからこそ、新しい一日をスタート
できる。様々な出会いがある。
105歳という年齢を迎えてもなお、僕には
まだ自分でも知らない自分がたくさんあり、
その未知なる自分と出会えるということに、
心からわくわくしているのです。

10歳を超えたあたりから、自分がいかに
本当の自分を知らないでいたかということを
感じるからです。

世の中でいちばんわかっていないのは自分
自身のことだ、ということに気づくことが
できました。
これは、年をとってみないとわからない発見
でした。
「人生の午後をどう生きるか。
選ぶ物差し、価値観が必要で、自分自身の
羅針盤を持たなくてはならない。
午後は午前よりも長いから」

*最愛の人が重い病気に。
何と声をかけたらいいのかわからず
自分の無力さを感じます。

人間というのは不思議な力を持っていて、
病によって弱められるのだけれど、やがて
その弱さの中からある種の強さというのが
立ち上がってくるものなのです。
僕はそういう患者さんをたくさん見て
きました。
聖書にある「力は弱さの中でこそ十分に発揮
されるのだ」という言葉のとおりのできごと
でした。

自分が戦っていたのが、実は病そのものでは
なく、病よって表出した「こうありたい理想
の自分」だったということに気づくのです。
僕が見てきた多くの患者さんも同じような
気持ちだったのだと思います。

命があり、健康なときは、そのありがたみに
気づかずに、足りないものを数えて不平不満
ばかり・・・そんなことはなかったでしょうか?
確かに病は、筆舌にしがたい苦痛を伴います
が、これまての無知だった自分をいさめ、
感謝という恵みをもたらしてくれます。

*長年連れ添った夫に死なれ、毎日さびしくて
しかたありません。
早くわすれる方法はありますか?

僕の妻は93歳で僕より先に逝ってしまい
ました。
彼女の姿が、ますます、いやむしろ生きて
いたときよりも、鮮やかになっているのです。
それが魂というものなのかもしれません。
僕と妻は魂でつながって、実際に今も一緒に
生きているように感じるのです。

考えてみたら不思議なことです。
目に見えなくなった人の姿が、後々まで、
生きていたとき以上に、僕達に大きな力を
与えるということがあるのです。
見えないものの中にこそ物事の本質があると
いうことを、妻は今でも僕に教えてくれて
いるのです。

僕の大好きな作品、サン=テグジュペリの
「星の王子さま」の中に、「心で見なくちゃ、
ものごとはよく見えないってことさ。
かんじんなことは、目に見えないんだよ」
という言葉が出てきます。

とても意味深い言葉です。
見えなくても信じられる。
そういう幸せを僕は妻に教えてもらっている
のです。

*先生は医療を通じてどのように患者さんへ
愛を表してきたのですか?

医学とはサイエンス(科学)の上に成り立って
いるアート(芸術)である。
このウィリアム・オスラーの言葉は、生涯を
通じた、医師としての僕の信条です。

僕が人生の50年以上を捧げた聖路加国際病院
聖路加というのは、イエスの弟子で医者でも
あった、福音書を書いた「ルカ」からきています。
設立者であるルドルフ・トイスラーが遺した
理念では、「聖路加病院は病気を治療する
場所ではない。神の愛によって患者の苦しみ
を癒す場所である」ということです。
僕はその思いに込められた言葉を握り締めて
歩き続けてきました。

*聖書には人をゆるし、愛しなさいとあります。
キリスト者である先生は
すべての人をゆるしてきたのですか?

ゆるすということは難しいことですね。
ゆるしがたい人をゆるそうとするとき、
僕は本当の孤独を感じます。

ゆるすということを考えるとき、僕は、
「恕す」という漢字を思い浮かべます。
よく使われる、許すでも、赦すでもないのです。
「恕す」という漢字にゆるすという本質的な
意味を感じるからです。

心の上に如くという文字が載っていますね。
つまり、ゆるすとは、誰かに許可を出すとか
悪いことをした人をゆるすということでは
なく、「相手のことを自分のごとく思う心」
という意味なのです。

相手を自分のごとく思うということは、
相手をゆるすことが自分をゆるすということ
に他なりません。
だからゆるすのは相手のためではなく、
自分のためにする行為なのです。

十字架の上で息絶えようとしていたイエスは
父である天の神に向かって叫びます。
「自分を十字架にかけた人々をゆるして
ください。彼らは自分が何をしているか
わからないからです」

*どうしたら先生のように年をとっても
若々しく元気でいられるのでしょうか?

人というのは不思議なもので、苦しいとき、
逆境のときにこそ自分の根源と出会うこと
ができるのです。
病や苦難によって、新しい自分を見つけたら
その恵みを受け取ると同時に、過去の自分の
皮を脱ぎ捨てましょう。
常に「キープオンゴーイング(前に進み続けよう)」
若々しさにの秘訣にもつながる、
僕の大好きな言葉です。

変化を恐れない。
未知とは、変化する可能性のこと。
変化していく自分を待望してほしい。


以上です。
どうぞ、参考にされてください。


テレビで何度か階段を元気な足取りで
上がっていたり、本を書かれていたり、
全国いろんなところで講演会をされたり、
患者さんとお話されたりしている姿を
拝見しました。

高齢になってもこういう生き方をされる方
がいらっしゃることにとても感動しました。

私の父母にも元気で長生きしてほしいと思い
日野原先生の「こころ上手に生きる」という
本をそっと居間のテーブルの上に置いたこ
ことを思い出しました。


私も「キープオンゴーイング(前に進み続けよう)」


日野原先生、ありがとうございます。
日野原先生はずっと私の心や多くの人々の心に
あります。✨