
2003年野口晴哉「風邪の効用」から
大事だと思うところを書いておきます。
風邪は誰も引くし、またいつもある。
夏でも、冬でも、秋でも、春でもどこかで
誰かが引いている。
風邪は万病のもとという言葉に脅かされて
自然に経過することを忘れ、治さねば
治らぬもののように思い込んで、風邪を
引くような体の偏りを正すのだということ
を無視してしまうことはよくない。
体を正し、生活を改め、経過を待つべき
なのである。
このようにすれば、風邪が体の掃除になり、
安全弁としてのはたらきをもっていることが
わかるだろう。
体を使っているうちに、或る一部分が偏り
疲労の潜在状態になって、そういう部分の
弾力性が欠けてくると風邪を引き、風邪を
引いた後、快復してくる。
それで私は風邪は病気というよりも、風邪
自体が治療行為ではなかろうかと考えて
いる。
ただ風邪を完全に経過しないで治してしまう
ことばかり考えるから、ふだんの体の弱い
処をそのまま残して、また風邪をひく。
風邪を引く原因である偏り疲労、もっと元を
いえば、体の偏り運動習性というべきもの
ですが、その偏り運動習性を正すことを
しないで、いつでも或る処ばかり負担を
かけているから、からだは風邪を繰り返す
必要が出てくる。
早く風邪を治そうとして熱を下げようと
したり、咳をとめようとしたり、そういう
中断法ばかり講じていると、風邪を治そう
としながら体が硬張り、治療しながら体が
だんだん鈍くなるといようなことになる。
敏感な人が早く風邪を引く。
だから細かくかぜをチョクチョク引く方が
体は丈夫です。
だから私などはよく風邪を引きます。
ただし四十分から二時間くらいて経過して
しまう。
クシャミを二十回もするとたいてい風邪は
出て行ってしまう。
風邪を引いた時のクシャミというのは一回
毎に体中が弛んでいる。
慣れているから自分で判るのです。
そしてそのクシャミが響く処によって、
少し飲み過ぎてしまったなとか、少し
食い過ぎているなとか、少し頭を余分に
使い過ぎたなと思う。
そして風邪を引いてクシャミをする度に
体の使い方を反省する。
風邪というのものはうつらないのです、
本当は・・・・・・・・。
けれども一人で寝かせないと弛まないので、
それで"うつる"ということを便宜的に使って
います。
けれども風邪がうつるなどということは私は
考えたことがない。
引くべき体の状態なら引くし、うつれば儲け
ものと思っている。
風邪を引けば、丈夫になるのですから、うつ
ってもちっともかまわない。
寒いと風邪を引くという考え方が入っている
人は寒いと風邪を引くが、ストーブで暖まる
と風邪を引くと思い込んでいる人はストーブ
で風邪を引く。
風邪を引くことの中にはそういう心理的な
分子が非常に多いということがわかりました。
昔、寒いから風邪を引くのではないという
ことをいろいろ説いていると、厚着をして
風邪を引く人が出てきたが、寒いと風邪を
引くと思っている人は、靴下がぬれたからと
言っては風邪を引き
襟巻きを忘れたからと言って風邪を引く。
そう言いながら、その人は、お尻を
まくって便所へはいっている。
だから寒いから風邪を引いたのではなくて、
寒いと風邪を引くという考えが、心が空虚
になった時にフッと入ったり、暖かいと
風邪を引くという考えが、体が弛んだ時に
ポカッとはいる、そういう時に風邪を引く
のです。
風邪を引くということの中には心理的に
風邪を掴まえてしまうことが多くある。
英語では風邪を引くことをキャッチ・
コールドという表現をしていますが、
寒さを掴まえるというような、そういう
風邪の引き方はたくさんある。
「風邪が流行るだろう」と新聞で書き立てる
と風邪がはやる。
心の奥の深層心理とか潜在意識とかいう
ような潜在している心に、風邪を引くと
いう考えが入ると、風邪の現象がおこる。
空想すると実現する。
意思では自分の体の動きに何とも働き
かけられないのに、思い浮かべていると
思い浮かべたようになっていくのです。
一旦方向づけられたら、意志でどんなに
努力してもその空想には勝てない。
結局空想が方向づけられた方向に体の
動きは行ってしまうということです。
以上です。
良かったら参考にしてください。🍀
私はもう10年位風邪を引いても薬を
飲んだり、病院に行くこともないです。
野口先生の言う風邪のクシャミをしたり、
鼻水がでたり、熱が出たりすることも
ありますが、考え方ど浄化で何時間かで
よくなっています。
やはり考え方が大事ですね。
以前デイリールーツファインダーの
「風邪やインフルエンザにかからなないコツ」
を書かせて頂きましたが、
そちらも是非参考にしてください。🍀