2月の暖かさにはビックリしたなぁ~
日本列島は長いっ!
でっ・・・三月とは言えまだ冬景色の東北・・・。

写真は昨年の暮れ・・・いわき市・豊間の海岸・・・。
「津波で砂浜があれて海水浴なんて出来ないよ・・・海水の汚染(原発事故)もあるし・・・」
残念そうに話してくれた地元のオジさん・・・。
サーファーが何人かいたが・・・
「多分、地元の人間じゃないんじゃないかな!?この辺じゃ海に近寄るやつはいないよ・・・」
明日は震災から二年が経つ・・・あっという間の二年・・・。
年が明ける前に我が子達を連れあまり報道されないいわき市の海岸線を訪ねた・・・。

震災前の街の姿は未だにない・・・人と車が通らない道に虚しく信号機の光・・・。
二年経っても全く復興の兆しがない・・・この二年で長男は中学生になり、次男は小学生になったというのに・・・。
この街は時間が止まったままだ・・・。

再開のめどの経っていない学校のスクールゾーンを示す標識と待つ人の以内バス停・・・虚しい・・・。

「これは”おうち”だったんだね・・・」
と次男。
「こらこらっ・・・ここは他人の家なんだから勝手に入っちゃいけないよ!」
と私、写真人・・・この街の元の姿をしらない子供たちにとっては異次元空間なのかっ?!
・・・街には我々しかいない・・・。

土台だけになった家に”花”が咲いている。

実際に花を植えている。”街”ではなく”ガレキ”と呼ばれている街・・・。
確かにまだ処理しきれないガレキが山ほどある。

海岸に近い豊間中学校を訪ねる。


二年経った今になってやっと解体作業が始まった。訪れた時はまだ震災直後のままだった・・・。

体育館の中に入る。

津波が襲って来た時間で止まったままの時計・・・。
「スゴイねっ!津波の時間で時計が止まっているよ・・・。お父ちゃん、写真撮って・・・友達にメールするから・・・」

・・・この豊間で多くの方々が犠牲になった事は子供たちに伝えていない・・・。
大人の勝手な解釈ではなく実際に街を見て何かを感じ取って欲しいからだ・・・ピースをする子供たちにたいして”不謹慎”とは言わない・・・。

海岸から離れた裏山・・・。
「木の枝の色が変わっているだろ・・・。海水による”塩害”だよ・・・。木のてっぺんまで津波が来たからね・・・。凄まじだろう・・・。」
流されてきた車や家屋は綺麗に片付けられている。
慰霊碑の石碑が倒れてたままだった。

「すごいね・・・こんな大きな石が倒れるなんて・・・」
次男よ・・・津波の直後は大型トラックも流されていたんたぞっ!
「公民館の石碑は残っているけど、どこが公民館だったのかなぁ~・・・」

木造でできた公民館は跡形もなく消えている・・・。
ほとんどの個人住宅は解体されていたのだが、複合住宅はそのままだった・・・あれこれ規約があるのであろう。

津波直後の姿をそのまま残したままの部屋・・・帰ってこない家人を待っている。

「泥棒が来ないかなぁ・・・」
心配する長男・・・泥棒もこの街には来ない・・・子供たちはここはまるで映画のセットのような風景に写っているに違いない・・・現実を飲み込む方が難しい・・・。

ところどころに花がたむけられている・・・ちょっとだけ神妙になる我が子たち・・・。
「お父ちゃん、いつになったら人が引っ越してくるのかなぁ~」
花の意味がわからない次男・・・。
「大丈夫、きっと以前の綺麗な街に戻るさっ!お父ちゃんたち大人は身勝手で何もできないからオマエ達がこれから頑張って綺麗な街にしておくれよっ!この街は海が綺麗な街だったんだから・・・」
「スーパーがないから食べのもが買えないね・・・」
「じゃ~スーパーを作れば良い。お友達のために学校もなっ。お年寄りには病院も必要かなっ・・・」
小学生の次男が大人になる頃にはまた元の街に戻って欲しい・・・。
「・・・お父ちゃん・・・ほんと・・・津波って怖いね・・・。地震より怖いよ・・・。ボクの街は大丈夫かなぁ~・・・」
中学生になった長男は少しずつ何かを感じているようである。
「さてっ、お腹もすいたし飯でも食いに行くかっ!いわきには美味しい食べ物がたくさんあるぞっ!」
「家がなくなったり、家族が亡くなった人はかわいそうだね・・・。なんでこの街はそのままなの・・・。早く人が住めるようになれば良いのに・・・。」
「世の中不公平な事だらけなんだよ・・・。同じ被災地でも街が戻りつつあるところもあるしね・・・。皆んな公平に生活していると思うなよっ。喜んでいる人もいれば、悲しんでいる人もいるという事を決して忘れないように・・・」
「赤ちゃんは津波から逃げられたのかなぁ・・・」
幼い次男も何か感じたのであろうか・・・。
「大丈夫!被災地の人々も、被災地じゃない人々も皆んな希望を持てばきっと良くなるさっ・・・」

”ときめきの旅・コザ”も私、写真人流の旅のスタイルだが、家族旅行も私、写真人流。
ディズニーランドや温泉なんていつでも行ける・・・むしろそれは我々大人の希望や楽しみであって、決して子供達の希望とは限らないという事。
来年も10年後も多分、日本にはディズニーランドや温泉は存在しているだろうが、被災地は来年、10年後はどうなっているのだろうか・・・。
その現実を我が子達には見てもらいたいし、知ってもらいたい・・・。
決して、テレビやWebで報じられるような事ではなくて、実際にその目で確かめてもらいたい。
キミ達には大きな可能性があるのだから・・・何とでもなるさっ!