
沖縄も同様でオキナワ・コザは沖縄市と名前を変え日本に返還されてからは県庁所在地は那覇となった。

・・・どこか似ていいる・・・サイゴンとコザ・・・。
サイゴンに住んでいるお年寄りもコザに住んでいるお年寄りも皆口を揃えて言う・・・
「昔は良かった・・・」と・・・。
平和と幸せが訪れたはずの両地域だが、決してそうではないようだ・・・少なくとも昔を知っている人は・・・。
私、写真人も多感な時期をアメリカで過ごし、ン十年たったのだが未だにアメリカを引きずっている・・・。
「昔は良かった・・・」と思わず悪い頭のすみでつぶやく・・・。
徒党を組むのは昔から嫌いなので、旅は基本一人旅・・・その旅先で同士を集おうとするのだけど・・・。
コザは久々のヒット・・・ハマったなぁ~・・・年内にもう一度行こう
今回、宿泊したゲストハウスのそばに”コザ銀天街”といういかにもさびれた商店街市場があった。

観光客はおろか、地元の人さえ訪れないひっそりとした市場。
アメリカ時代は地元の台所としてかなり賑わったようだが、今はその面影はない。
NPO団体やボランティアで結成された老人介護施設や児童支援の設備が並んでいた。
方向音痴ではないっ&変に嗅覚が優れているので一見、こ~ゆ~寂れた市場の歩き方は慣れている。
市場につながる路地がなかなかキッチュで面白い。
当然、平日の昼間はオバァしかいない・・・。

美川憲一が似合いそうな(?)服が並ぶ市場定番の”洋品店”。

”魚屋”ではなく堂々と”さしみ店”と書いてあるのが良い・・・もちろん魚を売っているわけだけど・・・。

再びアーケードの中に戻る・・・相変わらず人っ子ひとり歩いていない・・・。
とっ!・・・アーケードの柱の一本、一本に地元の学生達の寄せ書きがあった・・。
気に入った寄せ書きを紹介。

幕末、アメリカ人・ペリーが黒船船団で沖縄に来航した時に島の人々は笑顔でペリーを迎えたという。
それを見たアメリカ人は琉球人の屈託のない笑顔に驚いたという。
・・・黒船が下田(静岡)に来航したときは、当時の江戸の庶民は驚いて逃げ惑ったというのに・・・。
この寄せ書きには琉球人のスピリッツを感じた・・・。
ほかにも楽しい場所が数多くあったのだが今回の滞在期間・4泊5日では短すぎた・・・。
最低、2週間はいなくてはならないなっ
名残惜しくコザを去る・・・何故か胸がキュンとした・・・

レンタルしたスクーターを走らせ、那覇から来た道とは逆に海沿いを走り那覇を目指す。

ゆっくりスクーターを走らせてもコザから那覇まで一時間もかからない。
レンタルバイク屋に着くと店内は3月になったばかりと言うのに気温が28度もあった!

南国なんだなぁ~・・・沖縄って・・・。
到着した時と同じ場所で写真を撮る。

当然、何も変わっていないのだが、やはり夜の沖縄はどこもアジアンチックであるっ!
クソ思いバックパックを背負って那覇空港を目指すべくモノレールに乗り込む。

すっかり春の風景の那覇のモノレール車内・・・”これは実は東京で撮影しました!”と言っても誰も疑わないであろう・・・。那覇は少しずつ本土に近づきつつある・・・。
程なくして地元の女子高生が乗車してきた・・・。

今風の女子高生・・・。本土の女子高生と何ら変わりない・・・。
沖縄っぽいのはきゃしゃな体に小顔だと言う事くらいか・・・。
コザの女子高生のように声をかけて撮影する気にはなれなかった・・・。
すっかりコザの魔力にとりつかれてしまった私、写真人・・・
黒髪・ストレートのコザの女子高生が懐かしい・・・。
コザと那覇の距離なんて30キロ足らず・・・車だと30分ちょっとで行ける距離なのだが・・・。
早くコザに行かないと那覇のように変わってしまうような気がする・・・急がなければっ・・・。
10年後のコザはすっかり変わっているかも知れない・・・。
本土返還前、返還後、平成、そして21世紀・・・那覇のように急速な変化はないのだろうけど、じわりじわりと変わってゆくコザの街・・・。
・・・でも・・・大丈夫か・・・こんなステキな子供たちがいる街だから・・・。

彼らに期待しよう!
ヘンタイなオッサンである私、写真人はキミ達が高校生になってもカメラ片手にコザの街をウロウロさせてもらうよ・・・。
またその時はゆっくりお話を聞かせておくれよ・・・。