通常の4トンゴミ清掃車何台ぶんなのか・・・東京ドーム何杯分なのか・・・想像が付かない。
少なくとも宮城県の場合、年間通常ゴミ処理の23年分のゴミ(=瓦礫)が出たという・・・。
なお、このゴミの総数は震災の影響で壊れた家屋や家財、公共の建造物等の瓦礫の総数である。
・・・流されて使えなくなった車や船舶、土砂の数は含まれていない・・・。
すべてを含むといったい何年分のゴミの量になるのだろう・・・
お昼過ぎにいわき市に着き、小名浜港から海岸線を北上する・・・。地元の方々がおっしゃる”豊間を見ておけっ!”という言葉に誘われて・・・。
少し車を走らせては目に付いた被災地に止まり写真を撮り地元の方々とお話している内に日が暮れてきた。
日暮れ近くになって着いたのは海水浴場が続く永崎地区から北へ車で15分ほど行った江名地区。

小さな漁村の町。ここも津波の被害を被害を受けている。

入り江の南に岬が突き出しておりその岬が防波堤の役目を果たしたおかげで被害が少なかったという。
ただ、古い家が多い地区なので港に近い家は皆全壊に近い。
港に出てみるとと瓦礫がスゴイ!


たまたま車で瓦礫(=ゴミ)を捨てに来た地元の方に話しを聞いてみる。

「この辺は古い漁村なので町の道は狭いんだよ。だから、大きな瓦礫やゴミは道に置けない。置いてしまうと車が通れなくなるからね・・・。だからこうして毎回少しずつ車で瓦礫を捨てに来てるのさ。」
「・・・”車で”ってガソリン代・・・大変じゃないですか!?」
「・・・大変だよ(苦笑)。朝はガソリンスタンドも込むからね・・・。でも市がなかなか瓦礫の収集に来てくれないから、とりあえずこの港に一時的に瓦礫やゴミを捨てるしかないんだよ・・・。小さな町じゃこの港が唯一大きなスペースだからね・・・。」
そう言うと足早にその場を立ち去った・・・まだまだ瓦礫やゴミがあるという。日が暮れる前にできるだけ運び出したいらしい・・・。
津波の被害は町を破壊しただけではなく、住民に大変な重労働も残している。
この港にはボランティアが入っていて、皆同様に瓦礫の処理をしていた。もちろん、自衛隊や重機は入っていない。
この港を過ぎると豊間なのだが、日が暮れてきたので翌日に行くことにした・・・。
被害を受けた町に寄っては、話を伺い撮影しているとすぐ一日が過ぎてしまう・・・。
お気軽ノー天気な私、写真人はそれでも良いのだが、救助の方々はその一日が住民の生死を分けるだろう。
震災で被災者になった方々が町を救い住民を救っている・・・。
「大変ですけど、がんばって下さい」
・・・なんてとてもじゃないけど言えない・・・ここではたいした励みにもならない・・・。
私、写真人に言えること・・・
「スミマセン、写真撮らせて下さい・・・。」
それだけだ・・・己の無力さを痛感する・・・。
半日だけどかなり疲れた・・・なんていうと地元の方に失礼だが・・・。
夜はいわき市の30キロ圏内屋内待機地区(いわき市北部)の様子を見に行くことにした。
・・・すんなりは入れればの話だが・・・。
また、幸か不幸か雨が降ってきた・・・。視界も悪く競馬であればゼッタイに写真を撮る条件ではないのだが・・・。
★注意★
ここの記載されている写真と本文は関係ありません。
また、個々の発言についてもあくまでも地元個人の方々意見であり、
私、写真人の意見&いわき市民全体の意見ではないという事です。
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