天気が良いので、
ちい散歩してみた。。。
今日は、九段下~神田を散歩
まずは、皇居のまわりからスタ~ト
皇居のまわり近くで、キレイな花を発見
なんの花か分からなかったけど、キレイだった
普段散歩なんてしためったにしないが、
改めて散歩してみると、
何度も通ったことのある道でも、新鮮だな(=⌒▽⌒=)
そして、
マニアにはタマラナイと思われる、
橋巡りがはじまった。。。
最初は、雉子橋(きじばし)
勅使として来日した数万人の唐人をもてなすため、
諸国から雉を集めたことがあり、このとき、このあたりに鳥小屋を作り、
多数の雉を入れておいた。
そのために、小屋のほとりにあった橋が俗称「雉子橋」と呼ばれ、
のち定着したとの事。
次に、この辺りの地名としても有名な、
一ツ橋
内堀川に架かる見附橋。
徳川家康が江戸城に入ったころは、
大きな丸木が一本架けられていて、
その名で呼ばれていた。
橋の近くには、松平伊豆守の屋敷があったので、
伊豆橋ともいわれたことがあり、
その屋敷あとに八大将軍吉宗の第四子徳川宗尹が、
御三卿の一人して居をかまえていた。
そこで橋の名をとって一ツ橋家と称したといわれています。
明治6年(1875)一つ橋門を撤去。
現在の橋は大正14年(1925)架設。
長さ19.6メートル、幅28メートル、コンクリート造り。
そして、そして、
錦橋
この橋も、とっても渡りたくなる橋である・・・
(全力坂風に(笑))
『錦橋』 の名称は左岸(北側) の町名「錦町」や、
この一帯の河岸の名称 「錦河岸」 に由来する。
「錦町」 の町名は、
江戸時代にこの付近に一色(いっしき) 姓を名乗る、
武家屋敷がニ家あったので、合わせて 二色(にしき) を 、
「錦」の文字に置換えたといわれているが定かではない。
そして、親柱のステキな、
神田橋
オレが高速で乗り降りする時に、
よく使う神田橋インターが脇にある
この橋は江戸時代には「神田橋御門」の見附橋であったが、
橋の創架はそれよりも古いらしく、
徳川幕府の開幕以前からあったとも伝えられている。
『神田橋』 の名称は、
この橋の北側一帯の地名「神田」から付けられているが、
江戸の頃には『神田口橋』とも呼ばれていた。
「神田橋御門」は、
将軍が上野・寛永寺に拝するための御成道でもあったので、
ことのほか警備が厳重であったという。
本日ラストの~、
鎌倉橋
有楽町駅前から神田淡路町に向う通りが 、
「日本橋川」 を渡る、鉄筋コンクリート製の、
古いアーチ橋である。
橋の創架は昭和 4年(1929)。
関東大震災の復興事業の一環として新たに架けられた。
徳川家康が江戸城に入城後の慶長年間(1596~1614) には、
城内や城壁、濠などの大規模な改修工事が行われた。
この江戸城改修に伴って、
付近の川筋には鎌倉からの石材が陸揚げさるようになり、
その頃から「鎌倉河岸」と呼ばれるようになったという。
『鎌倉橋』の名称は、この「鎌倉河岸」から付けられたものである。
そして、
鎌倉橋からの~
出世不動尊
もともとは江戸城内にあって、
一橋徳川家の表鬼門除けとして、
祀られていたといわれている。
本尊は、平安時代の僧「智証大師」の作、
と伝えられている。
明治になって神田松下町に移し、
戦後は鎌倉町が維持している。
出世とは相撲取りが不動尊に願を掛けたら、
出世をしたというのがきっかけという。
縁起がいいでしょっ(=⌒▽⌒=)
ちゃんと、願を掛けてきたぜ
お客さんがもっと出世しますように
そして、
お店がもっとたくさんのお客さんで賑わいますように・・・
ここで、携帯の電池が切れ
しゅ~りょ~っ
たまには、こんなカンジの日記もいいよね
次回は、日本橋周辺でも散歩してみようかな
二代目