上野広小路亭に行く。
何のネタをしようかなと考えて、前の演者の高座を見ている時に分かった。
お客様が笑いを求めている。とりあえず、笑いたい感じだ。
こういうのは、講談の会でもよくある。
もう亡くなった某先生は、飲み屋のお酒が入っている席で
「何か面白い話を」
と言われ頭にきて、一番面白くない「三方ヶ原軍記」という修羅場を読んだらしい。勿論どっちらけだろう。
このエピソードを聞き、何とも言えない気持ちになる。そういうことを講談師の矜恃とたたえるから、講談は衰退したんだろうなぁと。
お客様のニーズに出来るだけ合わせながら、ここだけは妥協出来ないという線を引いた矜恃の方が絶対いい。でも、まぁ、気持ちは凄く分かる。
とはいえ、笑いの多い「谷風情相撲」をする。しかも年配のお客様が多かったので、ゆっくり、はっきり、大きな声を強調してやった。
それは完全にニーズに合ったものだから、受け入れられこそはするが、やりながらこれでいいのかなと。ただ、お客様に合わせるばかりだと究極的には落語的な講談になってしまうなぁと。自分の満足する高座とニーズって一致しない。
というか、私の求められている仕事全般がほとんど、そういう講談だなと。それはそれで好きだけど、本格なの好きだからねとも思う。
そういう風に疑問に思いながら、色々な演者をみるも、どこか空回りをしていた。
演者の方向性とお客様のニーズが合っていない。ガチャガチャしている。
そんな中、阿久鯉姉さんの高座が出色だった。
「湖水渡り」という修羅場入りの所を読んでいたが、これを実に分かりやすく、それでいて笑いも多く入れて、しかし修羅場は本寸法で、お客様を飽きさせないようにあらゆる工夫がされていた。
ここまで配慮をして、こんなに笑いを求めているお客様に、見事に対応していた。
終わった後の拍手の量も凄い。講談らしさと、お客様のニーズをくんだ高座だった。
改めて、凄い姉さんだなと。
何か疑問に思ったら、前を歩いてくれている人がいるというのは、心強い。
確かな古典の技術と、お客様のニーズをくみ取りその配慮があれば、どんな講談ネタでも受け入れてもらえるのだと実感。
袖で、勉強させて頂きました。