二つ目について | 神田松之丞ブログ

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毎月のスケジュールと、演目などを更新していきます。

また、自主興行のテーマなども書いていきます。

いつからだろう。こんなに落語の二つ目が本格始動しているのは。

講談界は相変わらず、誰がどういう活動を定期的にしているのか知らない。

私が知らないだけかもしれないが、どういう方向性にいきたいのか全く見えない人が多い。これは真打ちもそうか。

それに比べ、落語の二つ目界は戦国時代の鉄砲の玉が飛びかっている。いつのまにか鉄砲が伝来しているのである。みんな器用にパンパン撃っている。

各々、個性という名の武器が違っている。

某二つ目は真打ちのようなロケット弾をお客様に撃ち込み、また別の二つ目は真剣を磨きに磨いていたり、夢七君は竹光の先を尖らす作業に余念がない。先に丸いプラスチックの傷つかないカバーを普段からしていたりする配慮ぶりだ。

自分の得意な武器を磨き、勝てないジャンルは潔く撤退すべきか。しかし意地もあると。色々な人が葛藤しているのが分かる。滑稽で勝てないと分かれば、二つ目の段階で人情噺にいきかねない流れだ。

昔なら考えられない、大ネタもバンバンかける。

イメージでいうと「信長の野望」というゲームで、二つ目達が領地の取り合いをしているような激しさを感じる。弱小大名は生き残れない。飽和状態もいいところ。

そりゃそうだ。古典の「子ほめ」一つとっても、数多ある「子ほめ」から、貴方の「子ほめ」がいいと言ってもらわなければならないという。昔もそうだったろうが、ここまでアレンジの時代ではなかった。間とかの稽古だったろう。

ただ、今の二つ目が恵まれているのが、お客様でも、いわゆるベテランを見るのから若手を応援する人まで幅広い気がする。

若手はベテランより成長が早いので、そういうベテランにない楽しみ方をお客様が熟知している。

昔は、本当に若手はぞんざいに扱われていたと思う。

昔のかわら版をみると、そもそも演芸会が少ない。ましてや二つ目の勉強会は言うに及ばず。場所すらなかった。

おそらくは、お蕎麦屋さんなどの二階で、地元の人の支援の元、勉強会をやっていたのであろう。
江戸時代と同じ手法だ。

それが今や、らくごカフェさんをはじめとして、色々な会を始めるのにちょうど良い小屋が沢山ある。設備的な面でも充実してきている。

その代わり、50人規模の小屋が収益が増えるとは思えないので、結局は皆さんの慈善的な熱意によるものであろうが。

30年前くらいに二つ目だった某師匠は
「二つ目になったら南の島かなにかで2年くらいぼっーとしてるんだ。腹出して寝てるんだ。すると、あれ、ちゃんとしなきゃいけないと思うんだ。そこから頑張ればいい」
と言っていた。

今そんな事をしたら、絶対取り返せない。流れている空気が全然違う。

昔だって一部には凄い努力をする人はいたが、それはほんの一握りで、あとは結構ダラダラのイメージがある。

これだけ熱意があるならば、落語協会、落語芸術協会、立川流、五代目円楽一門会、講談協会、日本講談協会、浪曲協会の二つ目と若手色物だけで、寄席的な物を作れないのか。

「二つ目亭」なるものをどこか借りて、50人くらいのキャパで3年後くらいにやってみたいものだ。求心力ある人を旗頭にして。

もっとも最初は、月に五日間くらいから。継続して行えば「二つ目亭」育ちの若手も出てくるだろう。

二つ目だけの本格的な城を、そろそろ持つ時期が近づいている気がする。