前座時代に私が書いた日記がイライラしていて微笑ましいので、ブログにアップしておきます。
今は二つ目になり、打ち上げも普通になりました。
ただこの頃は、本当に嫌だったんだなぁと伝わってきていい感じです。
ー以下引用ー
打ち上げが問題なのである。打ち上げ、打ち上げ、打ち上げ。落語家並びに講談師の隙があれば打ち上げをしようという姿勢、打ち上げジャンキーか。
中には会には来ないで打ち上げだけ参加する猛者もいる。
何なのだ、それは打ち上げという物に対する客なのか。会よりも打ち上げ。誰がこの仕組みを考えだしたのだろう。分かる。確かに分かる。お客様と関係性を密にする事で、次回も来て頂こうという下心。
分かるとは書いたが、私自身は絶対に打ち上げはしないし、私の人生で打ち上げるものなんて一切ないのである。
大体何を打ち上げているのだ。そもそも何を打ち上げたいのだ。それは打ち上げれるのか。打ち上げに成功不成功はあるのか。
ただ、私は基本的に奢って頂いた師匠方及び普通のお客様には何の文句もないのである。腹が立つのは何か勘違いをしてる輩なのである。
今日も変な爺につかまった。私が一切打ち上げをする物なし顔をして、ウーロン茶と鳥の唐揚げグビッビッと行っている時に
「君ねー、芸人というのは芸者みたいな者だよ。みんなの話を聞いてニコニコして愛嬌をもって
接する。愛されろ!愛されろ!君みたいな者も将来は講談界を支える一人になるかも知れないしね。それはないか。カッカッカッ」
余計なお世話である。それができりゃあ苦労はしないのである。こいつは何を打ち上げているのだ。少なくともこっちは打ち上がってないぞ。
これが地方なら分かる。土地土地の美味い物を食べ、地酒に舌鼓を打ち、今日はこっちの方は先生と、世話人が小指を立て
「イヤイヤ、参ったなぁー」
などと頭をかいていると
「それではこっちの方(小指を立て)ご用意させて頂きまーす」
「おやおや。困ったねー」
これこそが、わびさびが効いた打ち上げである。
あえて私は言いたい。打ち上げるな、打ち上げるな、決して打ち上げるな。
そこには何もない。
ー以上引用ー
毎日イライラしてたんだろうな。
ところで、明日、レフカダ落語会で打ち上げあるそうので、よろしかったら素敵なひとときを一緒に過ごしませんか。
松之丞拝