随分前 最近の表現ならば " 昔 "になってしまう、19歳の夏 「 若狭湾 世久見半島 食見浜 」 という、
ひなびた 浜辺に 足繁く通った。


キッカケは その頃 生まれて初めて出来た " 恋人 " が、 若狭湾の小浜市出身で、

名古屋から とんでもなく遠いと 思い込んでいた 「 福井県 若狭湾 」が、名神高速関ヶ原ICから 伊吹山の麓を国道8号線で抜け 琵琶湖の東端を掠めて マキノから滋賀県と福井県の県境の山を県道で あっという間に若狭湾まで、まったくの渋滞知らずで 名古屋ナンバーを付けて走っているのは わたしだけ…。

敦賀~小浜間の国道など 名神高速と同じスピードで、ぶっ飛ばせた!。

若狭湾 高浜 勢浜などの海水浴場は、止まっている車は 地元と京都ナンバーばかりだった。

ある日、東海ラジオの深夜放送で 「 若狭常神半島の世久見バス亭から 峠を越えた 食見浜が、それはマァ! 絵にも云われぬ 美しい浜で…の アナウンサーの声を聞きながら、すぐに車に乗り込んだ! 」


昔も今も " 人間ナビ "、

感を頼りに 人に道を尋ねることもなく とりあえず目的地に向かう、美浜から見当をつけて 世久見バス亭を発見、「 朝日の中に飛び込んで来た 食見浜の絶景!! 漁に向かう漁船の航跡が 鏡の様な水面に浮かんでいた!! 」


いつも お世話になった 「 羽尾 文左衛門さんの お宅 」

昔は 世久見から、両手に米俵をぶら下げて 家に帰ったもんだと、楽しい " ホラを吹く 爺ちゃん" が、


珍しく真面目な顔で 仰有った 「 人生は、ヘチマの様で無し! ぶらりぶらりしては 過ごされぬ!! 」 のお言葉、

ずっと 大事にして、生きてますよビックリマーク