毎年10月に華々しく“名古屋まつり”が開催され、最大の見世物は《郷土三英傑、織田信長 豊臣秀吉 徳川家康 行列》
織田信長は清須の出、現在でも年齢の高い人はかなりネイティブな“名古屋弁”を使われる
豊臣秀吉こと木下藤吉郎は、現在の名古屋市中村区の百姓出身、中村区も名古屋市内では名古屋弁が根強く残る街



徳川家康の在所は現在の豊田市松平町、豊田市の東部の里山に位置し、こちらは言わずと知れた“三河弁”の本拠地
若いころ、静岡市に二年七ヶ月に渡り単身赴任した
彼の地の誇りは、久能山の徳川権現と家康の隠居所となった駿府城
静岡県はご存知のように太平洋に面して横に長く、新幹線
の駅だけでも 浜松 掛川 静岡 富士 三島 の多くを数える
静岡市内で、浜松市の躍進と発展振りについて『素晴らしいですねぇ!』と誉め称えたら『アンタ!ありゃ静岡じゃねぇっけよ。 ありゃ遠州だっけね!』とすごい
不快な表情で否定されてビックリ
仰天
あわてて、その場を取り繕うつもりで、東海道中膝栗毛にも出てくる“麦とろ飯の丁子屋”の話を始めようとしたら、『アンタ!ありゃ丸子(まりこ)だっけね。安倍川の外は静岡じゃねぇっけよ!』とタシナメラレテ二度ビックリ

丁重にそこまでのこだわりの理由を尋ねると、《駿府は徳川家康の選んだ隠居の地!》 この地に住むにあたっては、それ相応の覚悟と誇りがいるとの大袈裟な説明
ちょっとイタズラ心がムクムクと湧いてきて、『家康の在所は、母である於大の方の生地松平、家康はじゃん だら りん の三河弁丸出しの三河のゴンジューだら!』とちゃかしてしまった
それ以来、静岡の二年七ヶ月は辛い単身赴任に終始し、口は災いの元と深く反省の日々を送っております
静岡のみなさま!どうもごめんなさい

織田信長は清須の出、現在でも年齢の高い人はかなりネイティブな“名古屋弁”を使われる

豊臣秀吉こと木下藤吉郎は、現在の名古屋市中村区の百姓出身、中村区も名古屋市内では名古屋弁が根強く残る街




徳川家康の在所は現在の豊田市松平町、豊田市の東部の里山に位置し、こちらは言わずと知れた“三河弁”の本拠地

若いころ、静岡市に二年七ヶ月に渡り単身赴任した

彼の地の誇りは、久能山の徳川権現と家康の隠居所となった駿府城

静岡県はご存知のように太平洋に面して横に長く、新幹線
の駅だけでも 浜松 掛川 静岡 富士 三島 の多くを数える
静岡市内で、浜松市の躍進と発展振りについて『素晴らしいですねぇ!』と誉め称えたら『アンタ!ありゃ静岡じゃねぇっけよ。 ありゃ遠州だっけね!』とすごい

不快な表情で否定されてビックリ
仰天
あわてて、その場を取り繕うつもりで、東海道中膝栗毛にも出てくる“麦とろ飯の丁子屋”の話を始めようとしたら、『アンタ!ありゃ丸子(まりこ)だっけね。安倍川の外は静岡じゃねぇっけよ!』とタシナメラレテ二度ビックリ


丁重にそこまでのこだわりの理由を尋ねると、《駿府は徳川家康の選んだ隠居の地!》 この地に住むにあたっては、それ相応の覚悟と誇りがいるとの大袈裟な説明

ちょっとイタズラ心がムクムクと湧いてきて、『家康の在所は、母である於大の方の生地松平、家康はじゃん だら りん の三河弁丸出しの三河のゴンジューだら!』とちゃかしてしまった

それ以来、静岡の二年七ヶ月は辛い単身赴任に終始し、口は災いの元と深く反省の日々を送っております

静岡のみなさま!どうもごめんなさい
