些細なこととは承知していますが、若い頃静岡市に単身赴任していました得意げ


当地には、家康の隠居先として駿府城、日光東照宮から遺骨の一部を分祀された久能山があり、さすがに家康が隠居先として選んだだけあって気候温暖風光明媚な地域でありました音符


駿府城の城下町として栄えた土地柄、住民の気位は高く、目線の全てが江戸を指向しておりました得意げ


当時、市内の薬屋でティッシュペーパーを一箱定価で買わされた思い出がありますにゃー


地名は静岡市丸子でも(東海道中膝栗毛の弥次喜多で有名な麦とろ飯丁子屋の所在地)、“アンタ!安倍川の外は丸子(まりこ)で、もう静岡じゃネェッケよ”なんて言われる始末しょぼん

市内にうどん屋などは無くて蕎麦屋だけニコニコ、そのうちの一軒だけに鍋焼うどんのメニューグッド!、きしめんと味噌煮込みうどんの本場名古屋人としてはいささかムッときたのでニコニコ、“アンタ!徳川家康の在所は松平と言って、豊田市の外れの三河でも一番のどぇりゃー田舎だぎゃー”と悪態をつくのが日課の毎日でした得意げ