PASSPO☆は着陸してしまいましたが、私はこのブログを敢えて「Final Approach(最終進入)」と付けました。

私自身がこのブログを書き終えることによって、安全に着陸するための心の準備を整えるためです。


そんな気持ちで見ていただければと思います。







「あなたにとってPASSPO☆とは?」

最後のフライトが終わり、エンドロールでこんな問いがクルーに投げかけられていた。


思い思いに答えるクルー。
それでは、あなたは何と答えるだろうか?



2018年9月22日。
PASSPO☆解散の日。

今回はレポを書くわけじゃなくて、自分の思いをただツラツラと書くことにする。

PASSPO☆という文字をアイドルとして書くのは、今回が最後になるだけに、キチンとブログという形でも振り返っておきたかったのだ。




ついにこの日が来てしまった。
「まぁ、まだ先だからなー!」
と調子をこいていたら、あっという間に時は流れてもう当日。

解散が発表されて、嫁と慌ててチケットを取ったのは今はもういい思い出。

ヲタクとしてきっとこのライブハウスにはもう来ないだろうなぁ…とか、嫌な思い出がたくさんあった場所も、何故か微笑ましく感じる。

浅いパッセン歴の癖に、妙にセンチメンタルに気分になった。

そりゃそうだ。
私がアイドルヲタク「ちょーかん」を名乗り始めたのがPASSPO☆からなのだから。


知ってる方もいると思うが、私はアニメヲタク→声優ヲタクと経歴を経て、ももクロのヲタク、いわゆる「モノノフ」になった。
きっかけは、以前の交流関係からなのだが、それがきっかけで、2012年6月25日のゆび祭りにてPASSPO☆を知ることになった。
まぁ、その時はぶっちゃけそこまで大きな衝撃は残していなかったとは思う。

それからしばらくは、親父が亡くなったり、以前の恋人と婚約解消したり、正直ヲタクなんかしてるモチベーションではなかった。

そんな時にたまたまPASSPO☆の音楽を聴くようになり、前向きな歌詞にとても勇気付けられたのは今でも良く覚えている。
PASSPO☆の曲を聴かなければ立ち直っていなかった!というのは、ちょっと大げさかもしれないが、自分の人生の変革はここだったのかもしれない。

(そこからPASSPO☆にハマっていくのだが、その経歴は面倒なので割愛します。

どうしても気になる方は飲みの時にでも聞いてください←)


こうしてPASSPO☆のフライトに行くようになったのだが、しばらくはボッチ参戦だった。しかし、「みんなで三国志」というクソゲーに出会ってから、私の人生は大きく変わった。

忘れもしない2014年6月17日。
当時の赤坂BLITZで行われた、PASSPO☆の5周年カウントアップツアーの初日。(453便とか懐かしいなぁ…)

この日にみんさんで仲良くなった方々と初めて顔を合わせた。

ここで出会ったヲタクの名前は本人たちがわかってると思うので割愛するが、ここで出会った方々と、後のヲタクの関わりの主軸が出来上がる。

それから、いわゆる「みんさん勢」として、真っ当なパッセンとは違う方向からPASSPO☆中心の生活になっていく。

しかし、私が「ちょーかん」と名乗れば、

「あのちょーかんさんですか!?」

と、驚かれた。

正規ルートではない、歴も浅いヲタクにも関わらず、出会うパッセンの皆様は私にとても優しくしてくださった。

勝手な推測だが、私のアイドルヲタク人生で、様々なアイドルヲタクを見てきたが、パッセンの方々が一番フレンドリーだったなと感じる。

PASSPO☆のクルー全員が仲が良いように、そこにつられてヲタクも仲良くなるのだなと感じた。

そうして人と人が繋がり、大きくなって、今思ってみればとても沢山のパッセンと知り合いになれた。
個性が強くて、いい意味でぶっ飛んでて、これもまさにクルーと同じなのかもしれない。

そんな私も、PASSPO☆をきっかけに様々なアイドルにも通うようになった。
純粋なパッセンとして、ではなく。


そこからは多分このブログを見てくださってる方ならわかるだろうが、KSDDへの道と突き進むことになる。


しかし、PASSPO☆の現場に来れば、パッセンの方々が、とても気さくに話しかけてくれる。

クルーに握手会で違うアイドルの話題を振ったとしても、
「あー!◯◯ちゃんいい子よね!」
と普通に接してくれる。

パッセンもクルーもとても良く似ているのだ。

だからこそ、私の中で、戻ってこれる「家」だったのだろう。
家はとても居心地がいいから最後まできっと帰り続けたのだろう。


もちろん、PASSPO☆に出会わなければこんなに沢山のパッセンの方と知り合えなかったし、今こうやって色々なアイドルを見ることも、応援することもなかっただろう。

個人的な事を話せば、私の妻ともPASSPO☆を通じなければ出会うことはなかった。
正直アイドルを応援してて、自分が結婚出来て、さらにはその妻と一緒に同じグループのライブを見れるなんて思ってもみなかった。


だからこそ、私はPASSPO☆には感謝してもしきれない。


自分の今の人生のほぼ100%を形成しているのはPASSPO☆と言っても過言ではなく、PASSPO☆によって人生が決まったと思う。


だからこそPASSPO☆の解散は悲しいし、日が変わってもあまり実感が持てない。

しかし、PASSPO☆が終わっても私の人生は続いていくし、PASSPO☆がくれた出会いと繋がりは続いていく。


あいぽんがMCで言った、
「PASSPO☆魂(だま)」
7つ集まると願いが叶うとかふざけて言ってたが、パッセン一人ひとりの心に持ち続ける事でPASSPO☆はいつでも蘇るのではないのだろうか。

そういう意味では、私も心に「PASSPO☆魂」を持ち続けていきたい思う。

先ほども書いたが、ここ最近の私の人生の変革には必ずPASSPO☆が関わっていた。

だから何か人生の岐路に立つことがあれば、PASSPO☆魂に呼びかけて、道しるべになってもらおうと思う。
それは、「ちょーかん」としての人生が常にPASSPO☆のお陰で正しい方向に進んでいたからだ。


もちろん、あの時ああしてれば…ここ行っておけば、あの時話しておけば…後悔なんて上げたらキリがない。
でも、何だかんだ、とても楽しいパッセン人生だったなぁと思う。



エンドロールの最後に流れた


「あなたにとってPASSPO☆とは?」


私はどうなのだ?



この問いには今の私ならこう答えるだろう。




「私が『ちょーかん』としていられる場所」であると…。




ありがとう。PASSPO☆