コーチングを人にやってあげたい
という記事を読んだ。


違和感があった。
私はキリスト教を30年やっていた。
救われる為ではなく救う為の学問として、だ。
人の苦痛と向き合う時間が長かった。


人にやるということは
その人を殺す覚悟が必要だ。
なぜなら、事実と出逢わせては
その人は事実の知覚という危険と
衝突してしまうからだ。
衝突事故で死んでしまう。
知るのと衝撃に耐えられるのは別問題だ。
コーチしておらず、無責任なのだ。

宗教に救いを求める人々の
脳と心は既に深刻であり
マッピングなど簡単にはできないのだ。


ふと検索した記事に

深くうなずく言い回しがどっさり

救われたいのは分かる。
特に女性がそうであるのも。

しかし
女性とは、議論も口論もしてはならないと
言うように、そもそも
得た結論に沿って生きて行かないのだ。

たゆたう水草なのである。

涙を軽く払い、心を強くする呪文をとなえ、
風を感じながら生きる。

それでいいのだ。

いかに自分のご機嫌取りができるか!だ


目標を持ち前向きになるためには
そもそも
国家や会社や社会が健全であるという
前提条件が必要だ。

だが今、社会が病んでいる。
ポジティブなんて無駄である。
いかに回避できるかのアクションゲームだ。



年金が無くなるだ減額だって時代に
何が必要かなんて知ったら気が狂いますぜ。



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あなたの髪はさらさらなびく


あなたの心も、さらさらとなびけ