悲しみが紅く染まる時(母に捧ぐ)。 | プールサイドの人魚姫

プールサイドの人魚姫

うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が
迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。

 

 

天から満遍なく降り注ぐ陽射しを浴びて

地上に紅い花が咲き誇る

貴女が旅立った彼岸花の咲く季節に

こうして私はその死に想いを馳せる

壮絶な苦しみ悲しみを抱えたまま

生きて行くのは限界だった

この花のように

悲しみが紅く染まる時

貴女の代わりに

微かな想い出と共に佇んでいる

 

 

 一ヶ月以上前の事ではあるが9月8日は母(雪子)の命日だった。28歳と言う若さで自らその人生に幕を下ろしてしまった母。私自身、母の顔もまともに覚えておらず母に関する情報も限られている為、その死の背景に何があったのか真実を解明出来ないままでいる。これは憶測の域を脱しないが、想像を絶する様な苦しみの中にあったと思われる。
 遺体の第一発見者は崔 桂順と言う方で母の叔母に当たる人らしい。この名前で察した方も多いと思うが、母の国籍は朝鮮(現在の韓国)。本籍は慶尚南道咸陽郡安義面錦川里、亡くなった場所は福島県常磐市大字上湯長谷字上ノ台。6帖ほどの部屋で丸い卓袱台に覆い被さる様に横たわっておりその傍らに小さな薬瓶が転がり白い錠剤が散乱していたそうだ。
 昭和10年、母の父(祖父)が朝鮮(現・韓国)から日本へ渡って来た。薬の行商を生業としており、日本各地を転々とし年数は定かではないが愛知県岡崎市辺りで山梨出身の祖母と出会い結婚。祖母にはその当時連れ子が一人いたが、祖父は自分の子どもとして育てた。額田と言う苗字は愛知県に額田郡と呼ばれる地域があり、それが大変気に入ったようで、自分も額田と名乗るに至った。そして長女の母が産まれ、雪の様な透き通る程の白い肌から『雪子』と命名した。祖父の流暢な日本語と書道家でも通用する様な達筆に子どもながらに驚いていたが、やはり酒癖が悪く酔うと祖母を相手に喧嘩が絶えなかったけれど、祖父の拳に箒を持って立ち向かう祖母の姿が目に焼き付いている。それを叔母たちが止めに入った光景は一生忘れる事はないだろう。
 母の訃報を父は服役中の府中刑務所内で知ったと言う。然し息子である私の耳に届いたのは死後1年が経過してからだった。祖母から「トシの母ちゃん病気で亡くなったんだよ」とポツリと小声で教えてくれた。幼い8歳の少年に「自殺」等とショッキングな言葉は出て来なかったのだろう。突然の訃報を知った父が、ひと目を避け喉を震わせ嗚咽しながら涙を流したのは言うまでもない。右腕に入れ墨を彫るほど母の事を愛していたのだから…。だが、母が藤枝の家を飛び出した原因は父にあった。父の実家が経営していたパチンコ屋に店員として母が勤めたのは18歳の時だった。色白の美貌の持ち主に父は一目惚れし、半ば強引に結婚を迫ったが、ハーフである母の身の上を知った父の両親や親戚縁者たちから猛反対を受け一時は諦らめかけたものの、自分の我儘を押し通し「内縁」として静岡市八番町で世帯を設けた。そして母は19歳で私を産んだ後、父の実家である藤枝市本町へ引っ越す事となったが、父を待っていたのは町の嫌われ者たちである(愚連隊)だった。そんな不良仲間たちとつるんでは悪事を働き、真っ当な職にも付かず酒を呑んで酔えば殴る蹴るの暴力を母に対して振るっており、家では喧嘩が絶える事がなかった。働かない父に代わり母は昼も夜も身を粉して働いた。昼間は日清紡の紡績工場で、夜は藤枝駅前近くのバーでホステスを…。美人だった母はかなり人気があった様であるが、それを知った父は当然気に食わない。帰りが遅い晩は嫉妬心で頭に血が上り、酒に酔った勢いも手伝い獣の様な唸り声を上げ、帰宅した母に拳を振るった。翌朝、「ノブさん、昨夜は酷かったねぇ、雪ちゃんあんまり可愛そうだよ…」と近所中の噂話の種となっていた。今で言うDVであるが、そんな生活に耐えられなくなったのだろう。私が3歳の時、仕事に行くと言って家を出たまま帰って来る事はなかった。私の幼い記憶にあるのは黒い服と大きなスーツケースを持って階段を下りて行く後ろ姿だけだった。藤枝市内にいれば父が追い掛けて連れ戻しに来ると思ったのだろう。福島にいる親戚を頼って単身、藤枝を離れたが、年に数回は実家の木町(現在の茶町)に帰って来ていたらしい。その時に祖母が「トシにひと目会ってやれば…」と話していたが「俊樹の顔を見たら決心が揺らいでしまうから」と言って、会うことはなかった。
 母の遺骨が何処の寺に眠っているかも分からないため、墓参りも未だ出来ずにいる。私自身も17歳のある時点までは「神戸」ではなく戸籍上は母方の「額田」姓であった。その為、当然だが本籍も母と同じ韓国だった。それに気付いたのは小学5年の時だったが、日本国籍でない事が原因で随分とイジメや差別に泣かされたものである。母と父をモチーフとした長編小説『届かなかった僕の歌』『傷だらけの挽歌』の2作品は現在推敲中で、完成までまだまだ時間が掛かりそうである。
※一部、小説『届かなかった僕の歌』より抜粋。
※写真の彼岸花(曼珠沙華)は小石川植物園で撮影。本当は群生している彼岸花を撮りたかったのだが、都内にはそんな場所が見当たらなかった。