網走番外地 第6章。 | プールサイドの人魚姫

プールサイドの人魚姫

うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が
迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。


プールサイドの人魚姫-洗面器

 足取りは縺れ、進む方向が一向に定まらない。車の往来が激しい日中であれば、立ち所に車に跳ねられ病院送りとなっているだろう。

 父の帰りをすっかり待ちくたびれた息子は、布団に包まり夢の中。漸く家に辿り着き、立て付けの悪い玄関の扉を力任せにこじ開けた。物音に気付いた息子が父の気配を感じ取ったのか、もぞもぞと寝返りを打ち始めている。

 「うっふう…あうう」何を言っているのか全く聞き取れない声を発しながら、千鳥足で座敷に上がると、その場に崩れるようにしゃがみ込んだ。父が帰って来る事を予想してその部屋だけは明かりが点っていた。

 布団は一つしかなかったので、父と私はいつも一緒に寝ていた。何も起こらなければ、夜は静かに更けて行き、朝日を待つだけなのだが、酔った父の静かな夜などあり得なかった。

 「と、とし、とし坊…」父の呼ぶ声に気付いた俊樹が布団から身を乗り出した。

 「ちょっと、おい、洗面器…洗面器持って来てくれ」

 部屋の明かりを点けると、どう言う訳か私は洋服箪笥の引き出しを開け、必死に何かを探し始めた。自分では洗面器を探しているつもりだったが、寝ぼけていたため洗面器のあるお勝手(台所)と箪笥の区別も付かなくなっていた。

 「おい、早く、早く洗面器…」

 だらしなく横たわる父を、部屋の明かりが照らし出す。真っ赤な顔と半分開いた口から唾液が流れ出ていた。

 「うぇーっ…」それは声と言うより、獣の慟哭であった。洗面器は間に合わず、父の願いは胃袋の中身と一緒に畳の上に容赦なく吐き出された。

 部屋中に酒の匂いが立ち込めてむせ返るほどだった。息子が漸く洗面器を持ち、父に歩み寄った時は既に遅しで、胃の内容物が所狭しと広がっていた。その嘔吐物の中に埋まった顔は眼を覆いたくなる光景だったが、吐いてすっきりしたのか、父はそのまま眠っているかに見えた。

 呑んでは吐きを繰り返す父の姿は、まるで摂食障害の患者にも似ていた。息子には散々ひもじい思いをさせておきながら、自分は何処かの小料理屋で仲間たちと深夜まで飲み歩き、美味い物もたらふく食べて来るのである。

 そしてそれを息子の前で全部吐き出してしまう父だったが、時には手土産を持って帰って来たりもした。それは次の日の息子の弁当へと姿を変えて行く。息子にとってはそれが唯一の楽しみだったのかも知れない。

 酔って寝ている大人の身体は普段よりも数倍重くなる。その身体を10歳の子どもが全力を振り絞って動かすのである。明日の学校の事など頭にはなく、今、眼の前に在る父親の身体を何とかしようと必死に戦っている。

 両足を同時には持ち上げられないから、方足ずつ持って嘔吐物から離して行く。そして汚れた顔をタオルで丁寧に拭き、新聞紙を使って嘔吐物を拭き取って行く。何度も同じ事の繰り返しだからそんな作業もすっかり身に付いていた。

 「酔っ払いの介抱なら僕に任せて!」そんな冗談をクラスの友達に言う小学生だった。

 全ての作業が終わった時、時計は午前3時を過ぎていた。父の身体に布団を掛けると、「ふーっ」とため息を付きながら寝床へと戻って行った。

 人の往来など気にも留めず、小刻みに震える指先でワンカップの蓋を開ける。その手の中で波打つ日本酒が喉を潤すのに数分も要らなかった。「ゴクッ、ゴクッ…」喉を鳴らして父にとっての薬が流れ込んで行く。まさに水を得た魚である。五臓六腑に染み渡ると言うのは、こんな時の事を言うのだろう。

 僅か一合の酒であったが、二年の歳月はやはり父にとっては長かった。そしてこれもやはりキヨスクで買ったショートピース(煙草)に火を点ける。マッチを擦る手はもう震えていなかった。

 子どもの頃、父の煙草を買いに行くのも私の役目だった。

 「とし坊、煙草買って来てくれ」そう言って息子に50円玉を渡す。父のお気に入りは「いこい」だった。50円出せば鮪の刺身が一人前食べられるそんな時代である。だから煙草は高級品だったように思う。

 「じゃあ、済みませんが後をよろしくお願いします」

 時計が5時半を少し回っていたので、途中だった仕事を先輩に任せ、私は父を迎えに行く支度に入った。住んでいるアパートは会社が借り上げた物で、そこに3人ほどの社員たちと共同生活をしていた。ペンキで汚れたTシャツとジーンズから普段着の服装に着替える。アパートから静岡鉄道の「古庄駅」まで徒歩15分、そこから電車で新静岡センター駅まで約20分。約束の6時までにはギリギリかおそらく少し遅れるだろうと思っていた。

(続く…)。