鈴木牛後さんは俳句結社「雪華」の校正をしてくださっている。
色々お世話になっている大先輩なので、直接会っても何を話してよいかわからずに、遠くから眺めているだけである事が多い。
文フリでマルコボ・コム出版の「根雪と記す」と「暖色」を手に取りほしいなと思いながらも、そのころは短歌を詠んでいたので俳句は違うなーと一度手から離したが、何週か回っているうちに安くなったっていたので購入したのだった。
その時にブースに居た青山酔鳴さんと増田植歌さんとは今でも句会を共にするなんてその時はつゆにも思わなかった。
それから「角川俳句賞」を受賞され「にれかめる」を刊行された。
北海道新聞俳句賞を受賞され、牛飼いの俳句として注目をされた。
その後牛飼いを引退。
もう北海道には鈴木牛後さんはいないので雪華の校正(そこかいってかい?)はどうなるのだろうと狼狽えていたが、埼玉に行かれても継続して続けて下さっているので、ありがたい話である。
2025年5月に出版された「鄙の色」。
仕事の忙しさで本棚の奥に置いたままでやっと何度か読む時間が取れたので、お礼になにか書かないとと、ブログを立ち上げている。
この「鄙の色」は北海道に居るまでの俳句をまとめたものだ。
北国の寒さや牛飼いとしての目についたもの。自然の移ろいが俳句として残されている。
青空を重石と思う寒さかな
あおぞらをおもしとおもうさむさかな
総ルビの句集は誤読がなくて安心する。
句会に参加すると何度も読みで迷う場面に遭遇する。
冬の凍てついて濃い青い空を思いだす。その空の下を動き回って生きていかねばならない日々がもう数か月後には待っているのかと思い出す。シベリア寒気団が支配する上空の剃刀のような冷気が重石となって北の大地を支配する。我々はその支配下にて翻弄されながら生きていく。
除雪スコップ逆さに刺され春待つか
じょせつすこっぷさかさにさされはるまつか
北国では除雪用のスコップが一戸建ての持ち主ならば必須である。雪を掻かねば外に出て生活することは不可能だ。
そんなスコップもありきたりな道具なのであまり優しく扱われない。家の中にしまわれず(大きいからではあるが)逆さまに雪山に刺して雪に埋もれないようにして大きな頭を上にしているのだ。こんなに役にたっているスコップも寒風や雪に晒されながら春を待っている。
根明きして生きてゐるものゐないもの
「根明け(ねあけ)」と言う季語も北国でしか体験出来ない季語である。春先、雪の敷き詰められたる平原なのに木の根元を中心に先に溶けてぽっかりくぼんでいる。それは木が生きていて温かいからと言う噂もあったが太陽光を木が吸収して根元が溶けるのであって、電信柱も同じように根明けしている姿を見る。生物か生物じゃないかは関係なく根明けは起こる。
冴返る流産の仔の錆色に
さえかえるりゅうざんのこのさびいろに
ドラマの「リラの花咲くけものみち」(原作藤岡陽子さん)が獣医学部の話だったけど、生き物を扱うというのは365日休みがなく毎日が生きて死んでとの繰り返しで精神ハードである。出産を相手にするならば死産にも必ず遭遇するだろう。死んで母親から出て来た子牛の色を私は知らないが、その子は錆色だったのか。やはり寂しい寒い色だったのかと俳句を通じて知るのである。
農道のずろりずろりと融雪期
のうどうのずろりずろりとゆうせつき
春と言えばまずは雪どけがあり、道がぬかるんで大変なことになる。どろどろ、べしゃべしゃ、ぬるぬる。
農道はずろりずろりなのか。六花亭の「ひろびろ」なるお菓子があるけどパイをチョコレートでコーティングしていて、あれは雪どけの大地なんだと聞かされて納得した。どろどろな感じをお菓子のネーミングにもってくるなんてありえないって思うくらい、北国のもんにとっては迷惑な雪どけ。長靴でうっかり泥の中に入ってしまうと、泥道に長靴を取られて脱げてしまう。今度春が来たらずろりずろりしている農道でも探してみよう。
勉強がてら書いているので、是非皆さまに突っ込み頂きたく思っています。
続く予定です。