いい年をした私がずっと思い続け、考えていたことがあります。
それは葬式の時などに、お坊さんがあげられるお経のことです。
これまでの長い人生で、かなりの数の葬式や法事に出席して、お坊さんのお経を聞いてきましたが、お経に書かれている意味については知らずにいました。
何を言っているのか、どんな意味なのか分からないまま、1時間ぐらいじっと座っているのです。
お経は分からなくとも、故人を偲びその家族の行く末を案じ、黙祷していることに意味があるのだと自分に言い聞かせてきました。
お経をあげられるお坊さん自身、お経の中味を全部分かっているのだろうかと疑ったりもします。
お坊さんにお経の中味を詳しく聞いた事もないし、お経を現代語に解読した本を読んだこともないので、お経のことを論じるのは、肩身の狭い思いがします。機会があったら、お坊さんとゆっくり話し合ってみたいと思っています。
考えてみれば、美術、骨董の世界も興味のない人から見ればお経と同じで、何が良いのか、自分にとって、毎日の暮らしにどう役立っているのかわからない、自分には関係のない世界だと思っている人が、多数かと思います。
美術、骨董の商いをして、少しはプロ意識が持てるようになるまでには、最低でも10年を要します。
私はこの商売をして30年以上になりますが、全ての商品について説明できるようになることは、一生かかっても不可能です。
人間の幸福度や、価値観の多様化、それぞれが抱えている個人や家族の悩み事など、お坊さんのお説教を聞く側からすると、その場では一時うなずくことがあっても、後日になるとほとんど忘れてしまっています。
誰もが直面する、生と死の問題。
私は死後の事については、悩んだり考えたりしてみたことは一度もありません。
「生きているうちが花」で、生き生きと自分の好きなことをやり、前向きに行動する。
夕食と一緒に「一杯」を美味しく味わう日々。
「いただきます」「ごちそうさま」「おはよう」「ご苦労さま」家族や他人さまの労いと気遣いに感謝する日々を送ることが、お経精神の一つではないでしょうか。