近い将来、我が身に災いが降りかかるとしよう。誰の身にも起こり得る。

 

筆者の場合、その時、原則、あらかじめ予兆が現れ知らせてくれる。ほんとうの話。これまで幾度もそれがあった。あまりにもプライベートで、具体例を書けないのが悔しい。今は、なぜその予兆で知らせがあるのかを考えてみたい。

 

筆者は、凡人だから、明日のことでさえも、何か災いが起きるかなど知り得ない。知らないまま明日を迎える。それがふつうだろう。ところがその日となると、予想外の悪い出来事に苛まれたとしよう。そして、そう云えばと、数日前に我が身に異変が生じていたなと思い起こすのである。このようなパターンを取るのである。

 

幾度もそのパターンが続くと、学びがある。それはこういうことだ。何かしら変わったことが生じた場合、その事象をより抽象的に想像せよ。例えば、PCが故障したとしよう。すると、いつもあたりまえに思っている何かを急に失うことがあり得ると察知するのである。

 

筆者は、いつしかこのような認識法を修得した。秘伝公開の一つです。役に立つ。

自分を取り巻く環境で、自分から観て局面が変わるときがある。それは、例えば仕事の場面など特定状況でもあるし、人生の局面というように、より広い環境変化を指すこともある。

 

いずれにしても、事態は変化していくのであって、それまでのようにはもういかないということである。

 

瀬戸内寂聴の言葉を引用しよう。「世に中は生々流転です。人間には止める力がありません。我々の苦しみも悲しみも、そして幸せも、常に移り変わり、同じ状態は続かないのだと覚悟しておきましょう。」

 

生々流転とは、すべての物は絶えず生まれては変化し、移り変わっていくの意である。ここで留意したいのは、移り変わる前に、生まれ出るものがあるということ。

 

筆者は、単純に生成と変化を観たくない。例えば人間関係において、はいそうですかと容易に受け入れられようか。問題が幾度かのパターンとなって現れて繰り返し、やがてそのパターンも消えていく。変化は速いときもあれば遅いときもある。千差万別である。

 

自分にあった生成と変化を受け入れたい。それに振りまわされるのは嫌だ。

日本の終戦記念日(または終戦の日)は8月15日。日本政府は、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」とし、全国戦没者追悼式を主催している。

 

筆者は最近、お盆の歴史が気になった。

 

お盆とは、日本で夏季に行われる祖先の霊を祀る一連の行事である。かつては太陰暦の7月15日を中心とした期間に行われたが、明治期の太陽暦(新暦)の採用後、新暦7月15日に合わせると農繁期と重なって支障が出る地域が多かったため、新暦8月15日をお盆(月遅れ盆)とする地域が多くなったようだ。

 

さて、なぜ終戦記念日はお盆の最中なのか。お盆が先にあったわけだから、終戦記念日をお盆にあわせたと云える。

 

日本政府が、ポツダム宣言の受諾を連合国各国に通告した日が1945年(昭和20年)8月14日。玉音放送により、日本の降伏が国民に公表された日が8月15日である。つまり昭和天皇が太平洋戦争の終焉を、お盆に告げたのである。

 

この歴史の事実は、後世の日本人に魂に刻まれる記憶を残した。毎年お盆に、戦争の記憶が蘇ってくる。なんと偉大な仕掛けだろう。

「その茶碗、ひやかしといて」と云われたとき、筆者は、何を求められているのかがわからなかった。茶碗は、ご飯を食べた後のもの。冷やかす必要はない。

 

方言(ただし石川のものか知らない)で、「ひやかす」とは、「水につけておく」ということ。食べた後、ご飯粒が乾いて茶碗にへばりついているからである。

 

「いじくらしい」「いじっかしい」も意味がわからなかった。そう云う人は機嫌か悪そうだ。やがて、「うっとうしい」「わずらわしい」ことだと知る。

 

「かやる」というのも理解できず。「傘がかやった」とは、傘がどうなったのか。聞くと、ものが倒れるという意味だそうだ。

 

「がっぱになる」も生まれて初めて聞いた。褒め言葉なのか。「一生懸命になる」という意味である。悪く云っても「むきになる」程度か。「ものい」「たいそい」「ちきない」が、「体調が悪くつらい」の意だと最近覚えた。

 

「あんか」は長男を指す。関西便でいう「アホ」は、石川弁では「だら」と云う。筆者は長男。もし「だらあんか」と云われるなら、軽蔑されたということだろう。

コロナ禍で消費が控え気味。これは誰しも似たり寄ったりだろう。

 

筆者は近頃、立て続けに焼肉を食べに出かけた。職場で「ホルモン光(小松本社で最近松任に進出)」へ。家族で「しちりん家(創業30年近い地元密着店)」へ。どちらも美味くて、たらふく食べた。

 

食の消費を復活させるのに、何を優先させるかは個人の自由。筆者は、その中で、焼き肉を複数人で食するニーズはかなり高いと思っている。

 

筆者の観るところ、焼き肉のひとり消費額は、少なくとも3,500円で(地方都市でチェーン店利用)、他の料理と比べて(例えばスシローで充分食べた場合と比し約2倍)高い。焼き肉は、完成されたコース料理として、消費者に記憶されている。しばらく食べていないと、どうしても欲しくなる。

 

東京はいま、コロナ第2波の入り口に差し掛かっており緊張感が高まっている。ところが地方都市は、第1波の終焉を迎え、気安く消費を元通りにする動きにある。食べものの消費は、他の消費と比し先行し、過去の満足記憶によって取り戻される。そのことを実感した。

「自社批判を言葉にしない組織」と表現してみた。平たく云うと、我が社の悪いところは、○○などであると反省し改めなければいけないと、口にしない会社。

 

3つの基本ポイントを押さえよう。1つは、「会社の主体者」を、広義に管理職に就く者と考える。故に「会社の主体者」は複数人いる。彼らが、総じて「自社批判を言葉にしない」とする。2つ、「批判する」とは「人の言動や仕事などの誤りや欠点を指摘し、正すべきであるとして論じること」である。3つ、批判を思っていても言葉がない(語彙が不足している)と言葉に出して言えない。

 

それはどのような会社か。2つの観点から考えてみる。1つは、会社の非主体者から、自社の悪い事柄がもたらされた際の管理職者の反応。この場合、あからさまに是非をつけない。実際は静観するに近くなる。2つは、管理職者からの情報発信の有り様。原則、自社にネガティブなことを云わない。

 

組織も人も自らを至らないと口にするのは避けたいもの。だが離職率の高さ等、明らかに相関事象が見られる場合は看過できないこともある。

筆者の心境を云えば、今の自分にやれることを適度に行なう、であろう。

 

若い時は無理をした。自ら発奮し高い目標を掲げて果敢に挑んだ。同時に所属する組織から相当なプレッシャーを受け無理強いをされたりもした。その中で成長もしたが疲弊もした。

 

筆者は、今の歳となって、人生を成熟させるつもりだが成長しようとはもう思わない。併せて身心を荒廃させるほどには何事かを強行したくはない。あくまで適度に行なうことを願っている。

 

楽に生きる人生を選ばなかった。茨の道とは云えぬとも、結構ハードな人生をおくってきたつもりだ。人格が鍛錬されたと思う。けれど疲れ果てたことも現実だ。

 

筆者自身の安住の地はどこなのか。模索する日々が続いてる。「なるようになる」は「ケセラセラ」とも云う。意味としては、「いろいろと気を揉んだり焦ったりしなくても物事はうまい具合に進行する、流れに任せてしまえばよい」ぐらいのものだろう。

 

筆者は、未だ生かされている。目標は○○です!なんて、云えるものかと、嗤ってみせる。目指す何かがあるなんていう歳でもない。

「暗澹(あんたん)」という言葉が気になる。辞書には2つの意味が載っていた。1つは、主として天候など空間表現に用いる。例文:「曇空には雲が暗澹と動いていた。」この場合、薄暗くはっきりしないさま、暗く陰気なさまの意である。2つは、心理描写である。例文:「暗澹とした表情」「暗澹たる人生」。意味は、将来の見通しが立たず、全く希望がもてないさまを指す。

 

筆者は経験則で、誰の人生にも暗澹が訪れるときがあるのを知っている。人によれば、暗澹は大きくかつ長いかもしれない。よほど幸福な時を過ごしている人にも、一時暗澹に襲われるかもしれない。筆者の場合、自分に好ましくない事柄が同時に押し寄せて、心身が暗澹たる状態になることがある。そうなると気が重くなりしんどい。

 

林芙美子『放浪記』に次の文章があるのを見つけた。

「暗澹とした気持ちになってきて、一切合切が、うたかたの泡より儚なく、めんどくさく思えて来る。」

 

筆者独自の発想だが、陰鬱を晴らそうとしても無駄かもしれない。むしろこの言葉をとことん味わってやろうか。

筆者は、最近古い映画を立て続けに2本観た。『伊豆の踊子』と『潮騒』である。両作品とも著名な原作に基づくもので、これまで幾度も映画化されている。前者6回、後者5回である。筆者はテレビ放送で、両映画を三浦友和・山口百恵バージョンで観た。映画上映年は、各々1974年と1975年である。その年、2人の俳優は、22歳と16歳であった。

 

筆者は、かつて2つの映画を観ている。テレビでよく再放送されているから。けれど原作を読んだことはない。云わずと知れたことだが、『伊豆の踊子』の著者は川端康成、『潮騒』は三島由紀夫である。日本を代表する文豪である。映画を観ているので物語は知っている。内容は両作ともに恋愛もの。三浦友和と山口百恵は現在、68歳と61歳だから、約45年前の彼らが初々しく映る。

 

筆者はここである疑問を感じた。小説には映画とは別の愉しみがあるだろうか。すでに知っている物語を、文士の筆で読んでみるとどのように感じるだろう。すでにあるイメージを、言葉で後追いするのは鑑賞の一つではなかろうか。

内田樹さんに、「トラウマとは、自分都合で更新できない記憶を云う。トラウマは病気である」、と教わったとき、筆者は心底驚いた。

 

“自分の過去”は操作できる。さらに、操作するのが健常であり、それが人間の本来である。筆者は、立ち所に人生真理の一つを掴んだ気がした。

 

しかし同時に疑問も湧いてきた。「過去を操作する」とは、どういうことか。事実を操作するのは無理である。例えば、学歴を挙げよう。すれば学歴詐称となろう。ではいったい何を操作したらよいのか。

 

答えは、記憶である。過去を丸ごと認識するなんて不可能。人の記憶は、過去を不完全に捉えているのである。筆者は、“過去の丸ごと”が事実なのであって、“過去のその部分”は解釈である、と考えてみた。

 

結論はこうだ。自分の過去は幸福であったと思う。“嫌な思い出”を、“好ましい思い出”に積極的に書き換えてみる。現実にそういう操作をしてみたら、とても幸せな気持ちになれた。誰に遠慮もいるものかと思ってみた。

 

人生残り長くて30年。どんどん記憶を書き換えてみよう(笑)