「いまどきの34歳」続編!?

「いまどきの34歳」続編!?

MM「いまどきの34歳」改訂版(?)と新規原稿を載せていきます!

当時の読者様方が見つけて読んでくれるかどうかはわかりませんが…(笑)。

and、日記みたいなものも入るかも!? (^^ゞ

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 今回はちょっと血なまぐさい(?)テーマなんですが…。
 あなたは臓器移植ってどうお思いですか? と言うよりは、ドナー登録に関してと言った方が正しいかも知れません。

 幸いにして、私はこれまでに1度も大きな病気も怪我もしていません。従って、入院や手術というものはあくまでも他人事ばかりだったのですが、何故か昔から病院や病人,医療関係とは縁があります。

 五体満足で健康な、いわゆる健常者である私は、今まであまり身体に障害のあったりする人々のことを考えたことがありませんでした。また、臓器移植というものも、戦争と同じように遠い場所で起こっている、新聞やニュースの中でのドラマといった受け止め方しかしていなかったと思います。
 しかし、最近テレビでもよく見かけますが、臓器移植や人工臓器の技術の進歩には目を見張るものがあります。
 また、それと共に臓器移植を待ち望んでいる人々がとても多いことにも注目させられます。

 『もし自分が臓器提供を心待ちにする身だったら…』と考えました。
 現在、日本ではドナー登録をしている人の割合(全人口からの割合)は、どのくらいなのでしょうか? 多分、欧米諸国や他の先進国よりもずっとずっと低いのではないかと思うんですよね(※これは私の推測です)。
 もともと、とても心根の優しい民族であるにもかかわらず、そういうことに関しては非常に消極的なのはどうしてなのでしょうか?(献血が良い例ですね。『我、関せず』の意識が垣間見える気がします)

 実は、何年か前にアイバンクに登録しようかと思って父にその話をしたことがあります。しかし、その時は父はあまり良い顔をしませんでした。その理由は――
 父が言うのは仏教的な考え方(?)らしいのですが、自分の死後、他人に目(正確には角膜ですね)を提供してしまったら、死んだ後の世界に行った時、自分自身が困ることになりはしないか、という懸念を持っているそうです。
 私は、そんなことはないと思うのですが、正解は誰も知り得ないことなので、答えは出ないでしょう…。

 そして、今はと言うと、このところ乱視も近視も進んできたことだし、一部分的なものよりも、やはり臓器提供意思表示のカードを持ちたいと思っています。バイクに乗る身だし、人間、いつ何が起こって死ぬかも知れないことだし…(あ、ネガティブな考え!?)。

 余談ですが、私の伯母は以前から『自分が死んだら献体に出して欲しい』と言っています。それはとても良いことで、とても意義のあることだと私は思っています。

 自分が、自身の肉体を必要としなくなった時、それを誰かに提供することが出来るなら、それはとても幸せなことなのではないかと思います。自分にとっても、もちろんそれを受ける側にとっても。。。
 “人の子”と“礼儀”の関連性が見出しにくいかと思いますが…。(^_^;

 まずは――
 以前からすごく感じているのですが、メールを出す場合の礼儀の問題。

 基本的に、私はメールも自筆の手紙も同じようなものだと考えています。従って、挨拶文も何もなしにいきなり要件だけを書いて相手に送りつけたりするのは、大変無礼なことだと思っています。
 親しい仲だと挨拶文なんて省略しちゃったりもしますが、それが初めての相手とか、あまり親しい付き合いでない人にメールを出す場合は、大変失礼にあたると思うのです。
 また、見ず知らずの人に出す場合、メールだと匿名性が高いが故に、かえってそのメールの送り主の本質というものが見えやすいものだと思います。

 例えば――
 知らない土地へ行って誰かに道を尋ねる時、あなたは土地の人に何と声を掛けますか? まさか、唐突に道行く人をつかまえて「○○への行き方、教えてよ!」なんて言わないですよね!? 子供じゃないんだから。
 自分が尋ねられる立場になってみたら一番よくわかると思うのですが、自分の都合(道を尋ねたいという要件)を切り出す前に、相手に対する礼儀として「すみませんが…」というようなことをきっと言うと思います。そして、その言葉遣いにしても「…教えてよ~!」ではなく「教えて頂けますか?」と言いますよね?
 それは、礼儀と言ってしまえばそれまでなのですが、ではその礼儀、つまりマナーとは何に基づいたものなのでしょうか?
 簡単に言うと“相手に失礼でない,相手に不愉快な思いをさせない”という、相手を気遣っての言動のことだと私は解釈しています。

 そこで――
 誰だって人の子。乱暴な尋ね方をされたら『ふん。誰がオマエなんかに教えてやるものか!』という気になるでしょうし、丁寧な言葉で話しかけられたら『困っているんだな。助けてあげよう』という気になるでしょう(※そういう気にならない意地悪人は例外として)。

 そう考えると、ぶっきらぼうだったり乱暴な言葉遣いや態度は、相手に失礼なだけじゃなく、結局は自分が損をするという結果を招くことになるんじゃないかな?と思います。

 日本では、特にサービス業に携わっている人に対して、お客である人が横柄な態度をとりがちですが、それも見苦しい場面が目につき、ぜひとも一考して欲しいものです。

 例えば──
 先日バスに乗った時のことです。壮年のおじさんが運転手さんに定期券を見せて乗って来たのはいいのですが、きちんと見せなかったらしく、運転手さんが「もう1度ちゃんと見せて下さい」というようなことを言ったにも関わらず、そのおじさんはそれを無視してさっさと奥に入って席に着いてしまいました。運転手さんが再度「見せて下さい」と声を張り上げた時、なんと「うるさいっ!」と一喝し、その後も運転手さんが「ちゃんと見せてくれないと困ります」というようなことを言っているのに、「黙れ!!」なんて逆ギレして怒鳴ったりしているんです。それはもう呆れるを通り越して、「いい歳のおじさんが…」と、とても情けなく思いました。
 「あの人も、いつまでも“お客様は神様”で、お金さえ払っていれば何をしても許されるんだと思っている天然記念物なんだろうなー」と思いました。
 でも、サービス業のスタッフと客の立場は、あくまでも“Give & Take”なのです。
 「業者がサービス,役務を提供し、お客はそれに見合う対価を払う」
 そういうものなのです。だから、どっちが偉いとか、上だとか下だとかといったことは無いんです。お互い様なんですよね。

 どんな場合でも、自分に丁寧な対応(or 応対)をしてくれる人に対しては、大抵の人は親切にしてくれると思います。それが人の子(「人情」ですね)たるものなんじゃないかと思っています。
 『気は心』と言いますが、正にその通りだと思います。
 心をもって人に接すれば、必ず伝わる、と。そして、何よりも、お互いに気持ちの良いことでしょう。