本日は、2月3日、節分。
「節分」とは本来、各季節の始まり(立春~立冬)の前日の事を指すので、厳密に言えば年4回節分はあります。
しかし今では、立春の前日である2月3日だけを、いわゆる「節分」として、豆まきをして、年齢の数だけ豆を食べ(この慣習は、30歳を超えると、豆の多さにキツくなってきます・・・)、柊鰯を飾ります。
そして、豆まきの時の掛け声は、「鬼は外、福は内」。
鬼は、悪や不幸の象徴であり、いつも人々に嫌われたり、退治されたりします。
「鬼」といえば、カラーリングで「赤鬼」と「青鬼」とに分けられます。
少し自分で調べてみたところ、『宇治拾遺物語』の中に収録されている有名な物語、「瘤取り爺」(これ、最初に変換させようと思ってタイピングしたら、「小太り爺」になりました・・・)の中に、赤鬼と青鬼が登場し、これがルーツとなっているようです。
また、赤鬼と青鬼といえば、童話「泣いた赤おに」のエピソードが有名です。
村人に好かれたいと思う赤鬼。
あえて自分が嫌われ者になることによって、村人の赤鬼に対する評判をあげた青鬼。
この童話を読むと、赤鬼と青鬼の友情に心打たれるのはもちろんですが、「鬼」の背負う宿命や孤独といった事にも思いが及んでしまいます。
その他、これは以前のブログでも紹介しましたが、「みんなのうた」で、尾藤イサオが歌う「赤鬼と青鬼のタンゴ」。ここに出てくる赤鬼と青鬼は、どちらかといえばコミカルなキャラクテーでした。
そして、赤鬼と青鬼で、自分がもう一つ思い出すこと。
それがようやく今日のテーマである、双子の漫画家、山根赤鬼・山根青鬼です。
自分が小学生の頃、もちろん「ドラえもん」とか「天才バカボン」とか、今でも有名な漫画は、友達の間でも流行していました。
しかしその一方、人気という意味ではそれらに及ばないかもしれないけれど、子供の視点でほのぼのとしたタッチと童心あふれる話を書く、子供向け漫画家の存在がありました。
その代表格が、山根赤鬼、山根青鬼の二人の漫画家です。
この二人の漫画は、自分が子供の頃は、例えば先日自分もブログで取り上げた子供向け雑誌、「学習と科学」とか、「小学○年生」などの連載で読むことが出来ました。
今となっては、何が赤鬼先生の作品で、何が青鬼先生の作品か、という区別も出来ないですし、多分当時も、この二人の漫画については、あたかも藤子不二雄のように、同一の漫画家の作品として読んでいた気がします。
自分が今回調べてみたところ、山根赤鬼の作品は「ほのぼの」、青鬼の作品は「ちょっとドタバタ」という特徴があるようです。
この二人の作品の中では、上に挙げた「カゲマン」は覚えていました。青鬼先生の方の作品だったんですね・・・。
この二人、双子の漫画家という事でしたが、残念ながら山根赤鬼は10年以上前にお亡くなりになられたようです。山根青鬼は、現在でも存命中で、80歳を超えておられるとの事。
そして、今回知ったのが、この山根赤鬼・青鬼は、あの「のらくろ」の漫画家、田河水泡の弟子であり、
この「のらくろ」の執筆権を譲られている事。
そして、田河水泡の死後も「のらくろ」は描き続けられ、実は現在に至っても、不定期ながら山根青鬼はこの「のらくろ」を描き継いでいる、という事も知りました。
今は、なかなか一般の書店で、山根赤鬼・青鬼の漫画を入手することが困難ですが、いつかまた機会があれば、童心に帰って読んでみたいと思います。