#142 神足裕司『一度、死んでみましたが』 | 漂流バカボン

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何か適当なテーマを自分で決めて自分で勝手に述べていこうという、そんなブログです。それだけです。

かつて「週刊朝日」に連載されていた人気コーナー「恨ミシュラン」。




世の中の様々な高級もしくはバブリーな飲食店を標的にして、漫画家の西原理恵子・コラムニストの神足裕司が実際にそれらのお店を訪れ、その鋭い批評眼でこき下ろす(時には褒める)というものでした。




およそ20年前の連載ですが、多分こんな企画は、現在では(少なくともマスコミベースでは)実現不可能だと思います。




自分はこのコーナーが好きで、単行本も買いました。この「恨ミシュラン」の面白さは、サイバラこと西原理恵子の容赦なき辛辣な批評精神にあふれた漫画と、その毒を中和するかの如くの、神足裕司の大人びたコラムのバランスにあると思います。




神足裕司の文章は、自分はこの「恨ミシュラン」で初めて読んだのですが、さすが文筆業だけあって、読みやすさや題材のまとめ方の上手さは感じました。その一方で、やや業界人的な薀蓄や、衒学的な描写も多く、それが「何だかなあ」と思わないでもない時もありました。




それと、サイバラさんの書く神足裕司の似顔絵(コータリン)が可愛らしく、はげあたまにぐるぐるメガネのキャラとしても印象が深かったのを覚えています。




しかし、その後しばらく、この神足裕司の事は忘れていました。もちろん、文筆やマスコミの世界で神足氏はその後も活躍していたこととは思いますが、自分の狭い日常生活や読書の範囲で接点がたまたまありませんでした。

そんな中、4~5年前に「神足裕司がくも膜下出血で重篤な状況」というニュースを知って、久し振りにこの神足氏の事を思い出し、びっくりしました。くも膜下出血と言えば一般的に言えば「かなり危ない」病気であり、また助かったとしても後遺症が残る可能性が高いため、正直、文筆業の世界にはもう戻ってこれないのではないかと残念な気持ちになりました。

しかしそんな神足裕司が、自身の闘病生活をつづった本、『一度、死んでみましたが』を上梓したのです。








この本には、飛行機の機内でくも膜下出血で倒れ、治療、意識回復、そして懸命のリハビリの様子が述べられています。

そして、そこで家族や友人の献身的な介護や支え、周りの医療スタッフのサポートなどにより、「一度、死んでみた」神足裕司が奇跡的に回復してゆく過程が、本人の筆(一部は奥様などの状況報告が挟まりますが)によって述べられています。

この本で自分が一番驚いたのは、何といっても神足裕司の文章の以前からの変化です。

もちろん、くも膜下出血により、記憶や高次の思考といった脳機能に障害を受けてしまった影響で、この本の神足裕司の文章には、以前は得意としていた修辞的言い回しやひねりの効いた文章、薀蓄的な内容は見られません。

ただ、本人が「文筆を生業としていた者は、文章を書くことが一番のリハビリ」との強い思いで、以前のようには働かなくなった思考を必死で働かせ、途切れがちな記憶を奮い立たせ、時には自分の状況に絶望しながらも、周りの支えに感謝して、簡潔で短いセンテンスで、自分の思いや状況を伝えようとしている文章の数々。

これらの断章的な文章が、とても素敵なのです。以前の神足裕司の文章に(失礼ながら)見られなかった迫力と美しさが、この本の文章にはあります。

また、このような危機的な状況を経験し「一度、死んでみ」ると、例えば自分にとって本当に一番大切なものが、お金や贅沢な暮らしなどでは全くなく、それこそ普通の健康であり、支えてくれる家族や仲間の愛情であり、あたりまえの日常なんだという事が良くわかります。

以前「恨ミシュラン」でパートナーだった西原理恵子が、この本の腰巻に神足裕司のイラストを寄せていますが、以前の「コータリン」の似顔絵とは一味違って、精悍な表情でハンサムな出来栄えになっているのが、またグッドです。