***<『嘘をついて』第二話・鈴>*****




 お日さんの下を歩けるのは、贅沢なことや。
 捕えられて放り込まれて、それでも歯ぁ食い縛って耐えとる仲間の為に、わては今日も笑いながら店を出る。

 「ちょっと行ってきます。」
 「また島原でっか。優雅なこっちゃでございますね。」

 番頭はんの嫌味に苦笑いをしながら「頼んます」と頭を下げる。
 店が潰れたらどもならんさかい、こういったことにも、どうにか折り合いつけなあかん。…なに、こんくらいのことや。

 「あぁ。暑うなってきたなぁ…」

 夏を迎えようとしている春風の名残と高瀬川沿いの葉桜を見上げれば、今日もお日さんは眩しくて長閑や。この広い空の下で今日も同志が責苦を受け、誰かが誰かを斬っている。そんな世の中には、ほんま見えへん。

 …チリン…

 大通り沿いの店から涼やかな音が聞こえて、ふと歩みを止める。

 …チリンチリン…

 短く澄んだその音を追えば、それは小間物の店先で軽やかに響くビードロの風鈴やった。緋色の流線が金魚のようにゆらゆらと風に乗る。風鈴といえば、ここらでよう見るのは金属のそれで、それはそれで余韻の響きの美しいええもんやけれど…

 …チリンチリン…

 「まるで鈴や」

 あん子猫の首に結わえてあげるには、すこぉし大きな鈴やけど。
 ふと思い浮かぶ、あの時の子猫。このビードロに流れる緋色は、あの娘に似合うやろうに残念や。

 クスクスと、一人笑みを漏らしてハッとする。

 「…まだわては、笑えるんやな…」

 忘れてええもんやない感情だとは思うが、必要のない感情になりつつあった。もともと持っていた感情のはずなのに、有ることに驚くなんて不思議な気持ちや。

 「また逢えたら…」

 そや、ひとつ願をかけまひょか。あの可愛いらしい子猫にまた逢えますようにと、緋色の何かに。
 風鈴に導かれた小間物屋の店先を見遣りながら、また自然と上がる口角と久しぶりの感情を、嬉しいと思った。



******


 わてが掛けた願は、意外にも直ぐに叶うことになる。
 しかしそれは島原でなく、意外な場所で――…




 『下関を通過する外国の商船を攻撃するつもりだ』と高杉さんが言うてはったことが、本当になったとの報せを受けたのは午前のことやった。エゲレスもアメリカも区別せんと言うて、あの日、あの人は眼光を鋭くしていた。さかいに、そん報せを受けて驚いたりはしいひんかったが、報復を考えれば、わては京での孤立を含めて考えのうてはあかん。…宮様も、直ぐにそれを知るやろう。

 山科に急いだ方がええと判断して、店を預けて毘沙門堂へと向かう。と、河原町を下って暫くした頃だった。

 「翔太くんっ!」

 明るく透き通るような声が聞こえて、ハッと顔を上げて辺りを見回した。人通りの多い路でも、わては真っ直ぐにその声を聞き分けた。通りの筋を一本入った所に人目を憚るようにして、若い男女が手を握り合っている。…鮮やかな萌黄の袖が、楽しそうに跳ねている。

 ただの逢引きに気を取られる程、わては他人様の恋愛に興味は無い。…それでも今回ばかりは、少しだけ切なくなった。

 ――…あの日の、あの子猫。

 怯えて震えているあの日のような、思わず手を出してしまいたくなるような憂いの表情とは全く違う…弾けるような、年相応のかいらしい笑顔。





 あぁ。わての口元は、こんな時でも、薄く笑えるようにできている。



<つづく>

***<嘘をついて・第一話『桝屋喜右衛門』>*******


 
 色と欲を金子と白粉で上塗りした不夜城で、迷い猫と会うた。突然部屋に転がり込んで来たさかい一瞬身構えたものの、それは雨に打たれたようにして震えている子猫やった。右も左もわからんところに放り込まれて、怖くて怖くて震えてる。
 
 「おいで」

 そこにおったら寒いやろう?と、一瞬走った緊張を気取られんように出来るだけ柔かい声を出す。

 「……あ…」

 怯えた顔に、何にも怖いことはあらへんよと笑いかけながら、『にゃあ』とは鳴かへんのかと、少し可笑しくも思いながら……
 
 綺麗な顔に幼さを残して、歩み寄った子猫がわてに撫でられる。耳の後ろや喉を撫でれば、きっとゴロゴロと喉を鳴らすやろう。
 恥ずかしそうに頬を染めてなされるがまま、怯えていた瞳が泣き出しそうになったので「怖いんどすか」と囁いた。ふるふると首を振って、子猫が『にゃあ』とは無く笑う。先程よりも安心したようなその顔に、わての胸が温かうなる。
 …あんさんは何にも疑いまへんね。こんな男に撫でられて、安心したらあきまへん。優しそうに見えて悪い男も、世の中にはおりますねんよ。
 …あぁ。ほんまに…首に鈴を付けてあげたい。きっとかいらしいやろう。緋色に金の鈴がええやろか。そうや、いっそわての仔猫になりまへんか?


 ……そんなことを思いながら、子猫の注いだ酒と一緒に言葉を飲み込み笑ってみせる。

 「お名前は…?」
 「へぇ。桝屋喜右衛門と申します。」

 あんさんが、ほんまに『にゃあ』としか喋られへん子猫やったら。

 「桝屋…さん」
 「へぇ。なんどすか。」

 そしたら、わては嘘をつかんでもいいのに。

 小さな子猫を喜ばせたい。わてに微笑んでもらいたい。いつもなら澄ました顔して風流を気取る島原で、わてはまるで小さな姫をあやせと仰せつかった従者のようだった。なんでもいたします。仰って下さい。笛も、琵琶もあんさんの為だけに。歌も、書も、あんさんが喜んでくれるなら。だから、その目でわてを…見て下さい。
 
 「私も、芸を桝屋さんにお見せできるように練習しますね!」
 「へぇ。楽しみにしております。」
 「だから…だから、」

 もう一度手を伸ばして今度は頬に触れると、子猫が気持ちよさげに喉を鳴らした気がした。

 「また、会えますか?」
 「……あんさんが、望んでくれるなら」

 会いに来ますと言うんが、流儀だからやありまへん。こういうのをきっと、一目惚れ言うんでしょうね。











 昨夜の子猫は夢やったやろうかと思いながら、朝霧の中を太夫と歩く。大門までを連れ立った太夫が、わてに縋って切なく眉を下げた。

 「お前だけ」
 「貴方だけ」

 その口で、何人の男に同じことを言うてはるのか。それが粋だと言うのだから、わてはそれを粋やと思わなくてはいけないんやろう。

 太夫付きの新造だと言うてはったあの子もまた、いつかこうして誰かに縋るんやろうか。その縋る相手が、わてならええのに。そしたらこんな嘘も、つかんでもええのに。
 
 「また来ます」
 
 胸に添えられていた太夫の手をそっと握って、指の一本一本をゆっくりと解いていく。

 太夫の肩越しに見える島原の街の何処かで、あの子猫は今頃丸くなって眠っているんやろうか。

 「ずっと…お待ちしております。…喜右衛門様」
 


 …いいや。忘れたらあかん。




 桝屋喜右衛門。




 それが、今のわて。


<つづく>