沢田研二と天地真理をめぐって、乱れとぶ怪情報!ふたりに期せずして、湧き起った結婚問題ー。すべてに決着のつく日も近い!

 

1974年末、沢田研二と天地真理をめぐって乱れとんだ怪情報について、女性誌の記事を引用。翌年の2月、沢田研二と結婚する伊藤エミの引退発表直前、天地真理のヨーロッパ旅行中に出た記事です。

 

微笑 1975年3月8日

 

 

沢田研二と天地真理ー。このふたりの親密な交際の真偽が、各女性週刊誌の編集部でかなり真剣に討議されたのも、実は〝姿なき読者〟の電話からだった。

その電話は昨年(74年)の11月の中旬あたりから、ひんぱんに各誌の編集部に鳴りわたった。

いたずらにしてはあまりにも執拗だった。なぜなら、電話の声は同人物ではなく、少なくとも5人まで数えられたからである。

 

芸能誌の記者なら誰もがその話を知っていた。〝密告者〟の意図が、いったい何を目的としたものなのかわからないまま、火の手だけは確実にあがっていったわけである。

 

もともと天地真理には、デビュー以来、なにかと伝説めいた噂がつきまとっていた。

 

昨年11月中旬に、当編集部にかかってきた電話。

女の声「あのォ、つい2日ほど前、沢田研二と天地真理のふたりが神奈川県A市にある〝F〟というホテルから出て来たのを見たんです。そのとき、わたし、〝F〟の駐車場

にいたんです」

 

P誌の記者は、電話の声が〝見た〟という日の沢田と天地のスケジュールを調べた。ふたりとも東京のテレビ局に出演はしていたが・・・・。

 

12月に入って間もなく、また沢田・天地のことで電話がかかってきた。今度も神奈川県下のことだった。

男の声「G市の国道沿いにある溝に外車がはまって身動きがとれないので、通りがかった私を含めて5人ほどの人間が持ちあげたんです。運転していたのは間違いなく沢田研二でした。(中略)車のなかに女の人が、顔をかくすようにして乗ったままでいるんです。重いから降りなさいというと、やっと出てきましたが、その女性が、天地真理そっくりなんです。やっと車を溝から出すと、礼だといって、沢田研二が1万円ずつくれました。

 

口止め料として1万円もの金銭を受け取りながら、ペラペラと密告する人間を編集部は信じなかった。

他に「神奈川県N市の道路の溝にはまっていた」という電話もあった。

 

ただいたずらにしては、しつこかった。

いたずらなら、なぜ、沢田研二と天地真理だけを狙いうちするのか、その目的はー。

 

実は、沢田・天地のふたりに関する噂は、1年半ほど以前から芸能記者のあいだでひそかに語られていたのである。

目撃者は沢田研二のマンションの部屋に、自由に出入りを許されているクリーニング店の従業員という、まことしやかな噂だった。

 

この噂は先日取り上げたので省略。

 

沢田研二には、ザ・ピーナッツの伊藤エミとの結婚問題が未解決のまま、依然としてくすぶりをみせているのも事実である。ふたりの愛の噂は、もう6年余りも続いている。しかも伊藤エミは4月1日の誕生日で、満34才になる。

一時は、ふたりの仲は終わっている、といった情報通の言葉も聞かれたが、ここへきてまた、伊藤エミの周辺に結婚ムードが漂ってきているふしもある。

 

一方、天地真理にもまた、結婚説が流れている。

 

結婚相手として考えられる男性は、(中略)しかし、たてまえは、あくまでも天地真理のヨーロッパひとり旅、ということになっているのだが、パリの国際空港で、

 

「真理は外国で、秘密結婚をしてくるんじゃないか?」

 

2月の長期休暇についてはまた今度。

 

怪情報が乱れとぶ沢田研二と天地真理ー このふたりに期せずして沸き起こった結婚問題。その真偽がはっきりとするのも、そう遠い日ではないようだ。

 

1974年11月中旬あたりから、何者かが執拗に、複数人とあるので組織的だと思われるが、ふたりに関する怪情報を流していたようです。以前の、沢田研二のマンションに天地真理が・・・ という噂については、二人ともスターの宿命として「噂だからしょうがない」という感じであったが、今回の噂について天地真理さんは、年始のファンクラブ会報で、いいかげんにしてくれ、迷惑だと、沢田さんとの関係も強く否定している。

 

週刊ポスト 1982年1月15日

たしかに沢田さんと一緒の仕事は多かった。でも、私は無口なものでそれほど話しこんだこともなかったのです。それにザ・ピーナッツのエミさんと結婚なさることを知っていましたから。知っていたというより、感じていたといった方がいいのかな。だから〝彼女と早く結婚して〟といったりしたこともあるんです。

 

親しくもない人に、早く結婚しろとはいわないだろうが、沢田さんとは親しくなかった。あまり話したことがない。と言うのは終始一貫している。

 

週刊大衆 1983年2月28日

それこそ〝おはようございます〟のご挨拶ぐらいで、プライベートにも、お会いしたことはまったくないんです。だから、私と沢田サンがクルマに乗って、モーテルから出てきたとこを目撃されたなんて、ありえないことなんです。

 

もっとも想い出に残ってる男性というのは、芸能界の・・・・音楽関係にいた人です。今から七、八年前ですから、二十二、三歳のときだったと思います。

 

でも、彼とのことは、なぜかどこの雑誌にも出ませんでした。だから不思議でしたねえ。こんなにオープンにしている交際が記事にならないで、出るのは、ぜんぜんちがうのばかり。

 

本人のコメントではあるが、これもやはり芸能人としてのコメントには違いないので、どこまで本当のことを言っているのかはわからない。

 

 

週刊ポスト 2003年11月28日

私は沢田研二さんと交際しているって、マスコミに書かれたけど、あれも大嘘。実は沢田さんが、当時、結婚が決まっていたザ・ピーナッツのお姉さんとの交際をカモフラージュするために流された情報だったんです。私は、ダシにされただけ。

 

沢田さんが流した情報だったとは思えないが、とにかく、プロダクションの人間がガセ情報を流していたと、当時からなのかいつからなのかわからないが、そう思っていたようです。これもポジンショントークなのかもしれない。

 

噂が乱れとんだ1974年11月とはどんな時期だったのか。

 

週刊平凡 1974年12月19日

 

翌年2月の長期休暇のスケジュール調整が本格化したのが11月であり、沢田と結婚する伊藤エミの引退表明も2月中旬だったので、同じ頃に調整に入ったものと思われる。

 

文芸春秋 1977年5月

当時、彼女は、歌手の沢田研二と伊藤エミ(ザ・ピーナッツの姉)との間で、いわば三角関係にあったという。のちに沢田研二と伊藤エミは結婚することになるわけだが、彼女と沢田とのウワサも、さまざまの尾ヒレの付いた醜聞になって、芸能週刊誌の記事になっていた。

 

「渡辺プロにとっては、ザ・ピーナッツというのは、優等生的存在だった。タレントの模範として大事にされてきたんです。若いタレントには、ザ・ピーナッツを見習えという風にして。で、すばらしい引退興行をしてやりたいと考えたのも当然でしょう。引退ということになれば、伊藤エミと沢田研二の結婚も発表しなければならない。そのときに、ネックになったのが天地真理だったんですね。スキャンダルになっては、伊藤エミの引退、そして結婚に傷がつく。そこでプロダクションは、天地真理に一カ月の休暇を与え、ヨーロッパ旅行に行かせたんです。(以下略)

 

芸能評論家の加東康一氏のコメントを切り取り引用。にわかに信じがたい話であるが、長期休暇を与えてヨーロッパへ行かせたのは不可解ではある。

 

ヨーロッパ旅行についてはまた。

 

おわり。