小柳ルミ子さんの〝不倫の恋〟について。あの騒動から約1年後の記事を切り取り引用。
週刊平凡 1981年3月19日。
松崎さんがいつ果てるともしれない妻とのいさかいに疲れはて西五反田の家を飛び出したのは一昨年の3月である。いらい、転がりこんだ渋谷にあるルミ子のマンションで、人目をはばかる共棲生活が始まった。
ひところ、テレビ局の控室やスタジオではしきりにこんな一口噺がささやかれた。あるとき、ルミ子のマンションにコソ泥が入った。ところがたまたま、そこに男がいたからコソ泥が驚いた。(以下略)
業界の連中がしきりに二人の噂をしているという話である。
じつは松崎澄夫さんと美智恵夫人との協議離婚はこの2月24日に成立している。ののしり合い、傷つけ合ったすえ、それがふたりの出した結論だった。
しかし、そんな夫婦にも甘やいだ日々がなかったわけではない。松崎さんが同じ『渡辺音楽出版』につとめる(中略)往時のふたりの熱愛ぶりは、いまも社内の語り草になっているほどだ。そして、その年の12月には長男・晃太郎クンが生まれている。しあわせな時間が夫婦の上を流れた。少なくともルミ子が松崎さんの前に現れるまでは。
人がうらやむような恋をして、幸せに暮らしていた夫婦が、ルミ子の登場によって崩壊してしまったという話。
対応に出てくれた母・ハツノさんは、息子が離婚したという事実すら知らされていなかった。
「エッ⁉ 私はまだ聞いておりません。主人が血圧が高く、心配させたくないというのでいってくれないのかもしれませんが」
昨年秋、ハツノさんはご主人の俊夫さんと品川区小山にある美智恵さんの実家を訪ねた。
「なんとなじられても息子の不始末をお詫びするしかないと思いまして・・・・」
いまも孫のことを話し合うたび、老いた老夫婦は涙をこぼす。
数日後、記者はあらためてルミ子に取材を申し入れた。松崎さんの名前を出すと、ルミ子の顔がたちまちくもる。だが、あの騒動の渦中、「いずれお話できるときがきたら、すべてお話します」といった手前、いまさら逃げ出すこともできない。そして、この日、ルミ子は驚くほど率直だった。
ー松崎さんの離婚は知っていますか?
「ええ」
ーどう思います?
「べつに・・・・。私が愛しているのはひとりの男性で、その人が結婚している、いないは別の問題だと思っていますから」
ー彼と結婚しますか?
「結婚は人生の大きな節目だとは思いますが、でも彼との結婚はぜんぜん考えていません」
ーこれからどうするつもりですか?
「いまのままで、私は満足しています。今年はデビューして11年目ですから、仕事でがんばりたいわ」
しかし、いまのままで満足しているとは、またなんという大胆なもののいい方だろう。この発言にルミ子の持つ類いない優しさと残酷さを同時に感じてしまったのは当方だけだろうか。しかし、移ろいやすい愛を真空パックにすることはできない。本当の試練が始まるのはこれからだ。
業界の連中が、しきりに噂話をしているということだが、この不倫の恋は、社内(ある特定の人かもしれないが)で大顰蹙を買ってしまって、それで身内の人間が、業界内にもマスコミにも詳細な情報をバラまいていたということのようですね。
「私が愛しているのはひとりの男性で、その人が結婚している、いないは別の問題だと思っていますから」
「彼との結婚はぜんぜん考えていません」
勝手な理屈ではあるが、ふたりが結婚をするのは大変すぎて、ルミ子もあきらめている様子ですね。でも本心はわからない。
これだけの犠牲を払って(どれだけなのか不明)つき進んだ恋であっても、愛というものは移ろいやすい感情であるので、すぐに苦しい時がやってくる。もうそんな時期になっているのかもしれない。
というわけで、この不倫の恋は、まだ続きの記事があるので次回に。