JYULIE AND MARI ②
とてもロマンチックな夜でした。気になる年ごろの2人なのです。あまり笑わない沢田研二さんが真理ちゃんにあわせてニコニコ。ふるい洋画の夜霧のしのび逢いという感じの夜でした。
天地真理さんと沢田研二さん。1973年の対談記事を一部引用。まずは、ジュリーとガロの対談記事を切り取り引用。対談は、1973年5月末頃だと思われます。
明星 1973年8月号。
大野 「ボクは、エート、高校3年の時だから、今から5年前の秋、会ってますよネ。 ホラ『明星』の〝スターとデート〟って企画で、タイガースに会いに来たんですよネ。でも、沢田さん、ボクのこと覚えててくれませんでしたね。ザンネン!」
沢田 「うん、そんな企画があって、男5人女5人が会いに来てみんなでメシ食ったのは覚えてるんやけどね。アンタだって、あのころとはズイブンかわってるでしょ?」
沢田 「ハハ・・・・。そりゃタローの言い方だよ。みんな覚えてないと思うよ。ワシ、女の子だったら覚えとるけど、アハハ」
沢田 「そう、6月25日で25才。もうワシも年やで。でも、誕生日って言えば、ガロ、『君の誕生日』すごいやないの?」
大野 「いやいや、『危険なふたり』にはかなわないですよ」
沢田 「でも、ぼく1等賞とりたいなァ、ハハハ・・・・」
堀内 「アレ、沢田さん、オリコンのトップとったことまだありませんか?」
沢田 「うん、タイガースの時はあるけどね。ガロにはかなわんよ。ぼくはもう人気ないしね。おカゲでヒマでこのごろ太って来てもうて、55キロやで。ムチーッとしてきてイヤらしいワ」
大野 「そういえば、いま話題になってるんですって?アゴがちょっと太って来たって・・・・」
日高 「でも、沢田さん、ずいぶんいっぱいギター持ってるらしいですね?」
沢田 「うん、まあ、ちっともうまく弾けへんけどね。なんとなく集めちゃって6本ぐらいあるかな?」
大野 「最近はどんなレコード聞いてるんです?」
沢田 「スレードとかスイートとかいろいろだけど、やっぱりビートルズやね。それとローリング・ストーンズ・・・・」
沢田さんは普通に「ワシ」といってますね。
沢田研二『危険なふたり』4月21日発売
ガロ『君の誕生日』5月10日発売
wikiによると、
オリコン週間チャートでは6月18日付けで1位になり、沢田のソロ曲としては初のオリコン1位獲得曲となった。その翌週はGAROの「君の誕生日」が1位になったものの、その後1位に返り咲き通算3週にわたって第1位を記録した。
1973年2月19日から8月27日までのオリコン週間シングルチャート1位
学生街の喫茶店(GARO) 7週連続
若葉のささやき(天地真理)5週連続
赤い風船(浅田美代子)5週連続
危険なふたり(沢田研二)
君の誕生日(GARO)
危険なふたり(沢田研二)2週連続
恋する夏の日(天地真理)5週連続
天地真理さんがドラマで宣伝してやった「赤い風船」のおかげで、「危険なふたり」が1位をとることができなくて沢田さんは落胆している様子ですが、6月18日から1位に浮上して「君の誕生日」と、しのぎを削ったということです。
平凡 1974年1月号。
沢田 今日ね、カラヤンに会ってきたんだ。
天地 ホントですか?あたし、高校の時から大好きなんです。今度も、切符が欲しくて頼んだんだけど。
沢田 五百人に一人くらいしか、コンサートの切符、ないんだってね。だけど、カラヤンて、ちょっと、かっこよすぎるような気がするよ。
天地 沢田さんに似てるわ、そういうとこ。
沢田 それはないよ。ぼくはホントは不良なんだから。真面目なところもあると思うけど。
天地 今年は、いよいよ、レコード大賞ですよね。
沢田 レコード大賞?レコード大賞も、さわがれるのはすごくありがたいけどね。本人は、もらっても、もらわなくても、両方ともいいと思っているんだ。
天地 あたしも、なにかくれるって言われれば、うれしいけど、賞を目的に仕事しているわけじゃないんだし、わたしも悟りきった気持ち。
沢田 気をもんでも、仕方ないことさ。真理ちゃんも今年は忙しいよ。
天地 今年は、反省してみると、すごく病気が多かったから、来年は、健康維持が第一目標、それと、もっと歌の勉強しなくちゃ、と思ってるんです。
沢田 それは、ぼくも同じさ。少し、テレビで歌以外のことをやりすぎた気がするしね。
━夜は更けていきます。真理ちゃんは、紅茶を。沢田さんは、まだ食べています。
天地 ほんとによくたべますね。
沢田 よく食べるおかげで、ぼくは病気したことない。
━9時半、レストランにはまだ、音楽が流れ、通りを車がいきかいます。夜は更けていきました。
1973年10月末頃の対談だと思われます。真理ちゃんは、病気で10月24日にテレビの収録などに穴を空けてしまって、その直後ということで、気にしている様子ですね。
賞取りレースが終盤を迎えて気をもんでいた時期であったようですが、沢田さんの『危険なふたり』は、1973年の日本歌謡大賞を受賞しました。
ザ・タイガースも、天地真理さんも、時代とジャンルを作るほどの大スターであっても、賞を貰うという柄ではなかったが、沢田さんは、レコード大賞の有力候補に名が挙がり、歌謡大賞を受賞する歌手へと順調に成長しているようです。
おわり。