JYULIE AND MARI ①

 

読者の対談プランでバツグンに多かったのがこの2人の顔合わせなんだ。なんとなく〝お似合い〟って感じなのかな、きっと。

 

以前に、「真理ちゃんとジュリー ⑥」というタイトルで投稿した記事を削除して再投稿。⑦も次回に再投稿。

 

天地真理さんと沢田研二さん。二人の共演は多かったが、今回は初顔合わせの記事になります。対談は、1972年2月末頃だと思われます。

 

平凡 1972年5月号。

 

 

沢田 ・・・・初めて、やね。

 

天地 え?ああ、そうですね。よろしくお願いします。(テレビで顔を合わせても、あいさつだけ。話し合うのは今日が初めてだという)

 

沢田 デビュー前に写真、見たことあるんだ。

 

天地 写真って・・・・わたしの?

 

沢田 ウン。事務所の新人班の机の上で。〝斎藤真理〟って書いてあった(その時ジュリーは「かわいいコやね、上向きの鼻がいいよ」といっていた。そこで「どんな印象だった?と聞くと)

 

 

沢田 ウーン・・・・。(チラと真理ちゃんを見て)本人を前にして、言いにくいわア。(笑)タ・イ・プ・・・やな、と・・・・。

 

沢田 誤解せんと、聞いてよ。(テレながら)〝ああ、好きなタイプやな〟と思ったんや。

 

天地 アラ!(小さく叫んで首をすぼめた。しばらく沈黙)あの、こんどNHKに出るんですってね。

 

沢田 4月いっぱい『ステージ101』と4月4日『歌謡グランド・ショー』。デビュー6年目で、NHKで歌うのは初めて。

 

 

沢田 結婚?したいよ。でも、ひとりじゃできへんしね。(笑) 恋愛の段階と結婚するということは別だと思うし・・・。真理ちゃんは?

 

天地 わかんないわ。まだ。(笑)

 

沢田 仕事のこと考えないかんしね人気が落ちるという意味でなく。ぼくは、反対されてもするということはぜったいできひんたちだし・・・・。

 

 

沢田 ぼくも自分からは言えへんかったな。人見知りするし・・・・。

 

沢田 いっぺん、言うたことがある。高2の時。「ほかにつき合っている人がいますから」「あ、そうですか。ゴメン」その場でフラれちゃった。

 

天地 なんて言ったの?

 

沢田「あの、ぼくとつきおうてくれへん?」その一言を言うのが、たいへんやった。(笑)

 

ー取材こぼれ話ー

 

写真撮影の時、「スロー・シャッターですから、しばらく見つめ合ってください」とカメラマンの声。真理ちゃんすっかりテレちゃって、なかなか視線が合わない。ジュリーがおどけて、スタンドの影にスッとかくれる。ようやく打ち解けて、パチリ!

 

真理ちゃんはタイガース・ファンではなかったそうだ。対談後の感想・・・、

「思ってたより、ずっとステキなんですね。芸能人らしくなくて。わたしもなりたいな。ああいうふうに・・・・」

 

帰りの車の中で、ジュリーは「ヤッホーッ、やわ」と叫んだ。このことば、いまタレント仲間ではやっていて、ごきげんな時あいさつがわりに使う。そしてもういちど。

「ヤッホーッ」と叫んで、ジュリーは帰っていった。

 

対談中に何度も沈黙をして、写真撮影にも手間がかかり、人見知りの激しい真理ちゃんでしたが、相手がジュリーだから余計になのかもしれない。やはり二人はお似合いですね。

 

 

デビュー6年目で、NHKで歌うのは初めて。

 

これはどういうことなのか。1975年『平凡スタア』という雑誌から引用。

 

ブルーコメッツ、ザ・スパイダース、ザ・タイガース・・・・といった人気グループも、出演するジャズ喫茶が、非行の温床のようにいわれ、おとなたちに毛嫌いされていた。

 

沢田研二の所属したザ・タイガースは、一九六七年、NHK出演をしめ出された。(中略)「長髪族はダメ!」と、会長が一喝したらしいといううわさが広がり、不祥事だけでないことが、十五日録音予定だったザ・スパイダースも、直前にキャンセルされたことで立証された。NHKは彼らの音楽の、まがまがしいまでのエネルギーを恐れたのだ。

 

ザ・タイガース解散後は、PYGというロックグループを結成していたということで、「NHKに出る」ということは、路線変更(という程のものでもないだろうが)1972年から新たなスタートを切ったという、そんな時期であったようです。

 

 

「ぼくは、反対されてもするということはぜったいできひんたちだし」

 

このコメントは後の記事にも出てくる。他のタレントのように、プロダクションの意向に背いて好きな相手と好きなタイミングで結婚することなどできないだろうと、達観しているようです。沢田は、根拠のない自信や、虚勢を張ることはなく、自分をよくわかっている。

 

 

 

他所様のブログから拝借した記事を引用。

女学生の友 1973年1月号

 

沢田 マリちゃん、11月に過労で倒れちゃったろう。どう?

 

天地 もうだいじょうぶ。

 

沢田 第一、忙しすぎるんだよ。働きすぎだよ。

 

天地 (ホッとため息をついて)わかってはいるんだけど、しかたないわ。それだけ人気があるんだと思って、感謝してるのよ。沢田さんだって、働きすぎじゃないの。

 

沢田 (うなずいて)だから、来年は少し仕事をひかえようと思っとる。軽くする仕事と、力を入れる仕事に分けるみたいに・・・・。

 

忙しすぎてうんざりしている様子ですが、そんなトップクラスの忙しさだった沢田さんから見ても、真理ちゃんの仕事量は異常だったようです。なぜそこまで毎日、テレビ局を駆けずり回らなければならなかったのか。寿命が縮まってしまうに決まっているのだが、渡辺プロは大勢のタレントを抱えていたので、抱き合わせだったのだろう。

 

プロダクションは次々と新人を育て、ベテランを食わせていかなければならない事情があるのだが、タレントからすると、言われるがままに働いて使い潰されてはかなわない。自衛をしなければならないということだが、沢田さんは、うまく乗り越えて、上昇を続けていったようです。

 

おわり。