〝沢田研二と伊藤エミの5年ごしの恋ついに実る!〟

〝沢田研二が伊藤エミと来春結婚か?〟

 

このところ、マスコミの話題は沢田研二(24歳)と、ザ・ピーナッツの姉伊藤エミ(31歳)との結婚問題に集中しているようにみえる。だが、なぜか沢田研二は沈黙を守り続けている。否定も肯定もしないままに・・・・。

 それでも、沢田とエミの熱い交際は、なかば公然たる事実として世間に伝えられてきた。

 

沢田研二さんと伊藤エミさんとの交際報道について。二人は、1975年6月に7年ごしの交際を経て結婚したということだが、これがよくわからない。沢田研二がタイガースでデビューしてすぐにつき合いが始まったということだが、ザ・ピーナッツは、渡辺プロの象徴であり、タイガースは渡辺プロの新しい看板スターであったので、つき合いがあっても不思議ではないが、二人は8年間ずっと恋人同士だったのか。そうだとして、それについてどのような報道がなされて、世間一般と沢田のファンはどう捉えていたのか。

 

今さらわかりようがないし、どうだっていいことだが、それでも、当時の週刊誌の記事を調べてみると、1972年の10月から11月にかけて、二人の結婚問題が大きく報道さたことがわかりました。なぜその時期に結婚問題が騒がしくなったのか。当時の女性週刊誌の記事を、都合のよいところだけ切り取って、ごちゃまぜにして引用。

 

週刊女性 72年11月4日

 

女性セブン 72年11月4日

 

それにしても、最近の沢田研二の結婚に関する発言は多い。「結婚してもいい相手がいないこともない」という意味のことを、週刊誌などでしゃべるかと思うと、10月15日、NET『スポニチ芸能ニュース』で、はっきりと、「来年結婚したい」「交際している相手はいないこともない」と宣言していた。

 

沢田研二が、それらしいコメントをしていたことは確かなようです。

 

彼女たちを登用し、育成した『シャボン玉ホリデー』も、今年の10月1日をもって番組から消えた。11年の驚異的な長寿番組となった『シャボン玉』が、彼女たちのホームグランドであり、また彼女たちが中心であった。

最近はヒット曲に恵まれなかった彼女たちが、このホームグランドを失ったことでいよいよ結婚と考える向きも多いのである。

 

もし彼女らが望めば後続番組も可能だった。ということで、結婚するためでは?と見られていたようです。ちなみに、10月5日からTBSで『真理ちゃんシリーズ』が始まっている。

 

沢田研二とある女性歌手との間で、次のような会話がかわされたことがあった。9月の末ごろのことである。「うん、きちんと結論を出さなければいけないと思ってるんだ。来年の春にはきちんとしようと思っている」

 

某女性タレントが、こんなことをハッキリ証言しているのだ。「半月ほどまえ、エミちゃんや親しいお友だちと結婚談義をしていたら、〝ジュリーとのこと、来年の4月ごろには発表したいと思ってるの〟とエミちゃんが言ってました」このときエミは、「年齢差とかなんとかで周囲の反対や妨害もあるかもしれないけど、覚悟している」

 

どうも、某女性歌手だかタレントが情報を振りまいていたようですね。エミの意思を汲んでのことか、すでに31歳になっているエミ自身が仕掛けた騒動なのかもしれない。

 

沢田研二の地方公演まで同行する熱烈なファンの間では、伊藤エミの対抗馬として、ファッションモデルのK・Sの名前が上っている。「K・Sさんとジュリーとはよくデートしてるわ」しかし、そのファンたちの間でも、「結婚するとすれば、二人のうちのどっちかとだけど、結局ピーナッツのお姉さんになるんじゃないかしら」と、伊藤エミが本命視されている。

 

騒動の発端は、こんなことなのだろう。沢田研二は当代随一のモテ男であり、若い美女がいくらでも寄ってくるのである。しかし、さすがは熱烈ファンである。沢田のことをよくわかっている。

 

つまり、彼は、10代の少女のアイドルから幅の広い、深みのある大人の歌手へのびていったのだ。

 

日生劇場(10月17日~22日)の客は育っていた。あの喧騒なGSファンでは、もはやない。しっとりと沢田の歌に聞き入っていた。沢田の結婚に理解を示す層に成長しているのだ。

 

今度のリサイタルでそういう歌手へ確実な一歩を踏み出したという自信を彼は持ったようだ。

 

これはこじ付けだろう。沢田研二が歌手として順調に成長していたのは確かなことだが、大人の歌手としてまだまだ始まったところであり、渡辺プロが、沢田は成長したから結婚OK、などと考えたわけがないし、本人もそのつもりであったとは思えないですね。まあしかし、3年後に結婚したことは事実なので、プロダクションが許すのなら結婚するつもりだったのかもしれない。

 

女性週刊誌は、本人に取材もせずに(受けてもらえないのかもしれない)不明確な情報で勝手な記事を書くのでよくわからないが、この結婚問題について、週刊平凡月刊明星で沢田本人がコメントをしているようなので、そちらを見たほうがいいに決まっているが、手元にないのでわからず。

 

この結婚騒動の渦中の沢田研二が歌っていた歌は「死んでもいい

その次が1973年1月1日発売「あなたへの愛」この歌は、現在の天地真理さんのファンに馴染みの深い歌ですね。

 

1973年1月3日放送「真理ちゃんとデイト」収録は12月中旬か。

 

 

良い感じのふたり。なかなか思い切った放送だな、と思ったわけですが、

 

 

 

女学生の友」他所のブログから拝借した記事。取材は1972年11月後半から12月前半頃か?

 

沢田さんの、そのように好き嫌いのはっきりしたひとって、芸能人らしくなくていいわ。(小さな声で)スキなんです、それが

 

このふたり、だんだんイイカンジになってきたよ。‶73もそのイキでがんばってね。

 

当時の真理ちゃんが、特定の男性を「スキ」などといってはマズイのである。渡辺プロの社長は、タレントのイメージを非常に大切にする人で、細かいことにまで口を出す人だったらしいが、取材担当のマネージャーが雑誌の編集者に、「スキはまずいからステキに変えておいて」というような、検閲というかお願いをしてもよさそうなものである。

 

敢えてそれをしなかった。「真理ちゃんとデイト」でも、突如として、沢田研二への憧れを隠さぬ怪しい演出がなされた。それは、沢田研二の例の結婚問題を沈静化させたいと願う、世間やファンの意識を分散させたいと願うプロダクションの意識が働いていたのかもしれない。

 

おわり。