渡辺プロの伝説のマネージャー、菊池哲榮さんについて。以前に、このタイトルで投稿したことがありますが、削除してしまったので、今回新たな記事を作成しました。
菊池哲榮さん(1946年生まれ)は、天地真理(本名・斎藤真理)の名付け親であり、天地真理さんを発掘してデビューさせて、国民的アイドルへと導いた人でありますが、天地真理さんをマネジメントしていたのは1974年3月くらいまで。菊池さんについての詳しいことは、他所のサイトにロングインタビュー記事があるのでそちらを見ていただくとして、
渡辺プロの全盛期には、伝説となるような優秀なマネージャーやスタッフが何人もいた。キャンディーズのマネージャー・大里洋吉が有名なようであるが、それは、マネジメント能力が優れていたのは間違いないにしても、後にアミューズを設立して芸能界に大きな影響力を持ち続けたことからそんな話になっているのであり、
キャンディーズにしても、今日において、70年代を代表する超大物アイドルであったかのような話になっているのは、大里など担当のスタッフが後に芸能界で大きな影響力を持っていたということなんですね。その他のアイドルについても、担当者がソニーミュージックで出世をしたとか、彼らの声の大きさと影響力がアイドル芸能史になっているのであり、当時の実相を反映してはいないのですね。
渡辺プロのマネージャーといえば、クールファイブ、ザ・ピーナッツ、梓みちよ、小柳ルミ子など、ほとんどの女性タレントを手掛けた和久井保、
天地真理、沢田研二をマネジメントした菊池哲榮、
この二人なんですね。
天地真理さんのデビュー前後の経緯については、上記のサイトに詳しく語られているのでそちらを見ていただいて、手持ちの記事から引用、
明星1973年5月号。
天地真理が自分で綴った秘密の日記。
1971年・11月19日(金曜日)
いっしょに出演していた小柳ルミ子ちゃんと南沙織ちゃんが、新人賞にノミネートされ発表会に出ていく。それを見送る私。やっぱりちょっとつらい。でもこれからがんばればいいわ。
そのとき菊池さんが「プレゼントだよ」って、売店で買った時計をくれた。その思いやりに私は涙があとからあふれて、いつまでもとまらなくなってしまった。
スケジュールいっぱいに詰め込んで、タレントを働かせるのがマネージャーの仕事であるのですが、信頼関係は出来上がっていました。
「真理ちゃんとデイト」9話。
プロデューサー菊池哲栄とありますね。10話からプロデューサー二人の名が変わって、番組も変化していきました。番組放送当時は、天地真理さんも菊池哲栄さんも、自分の番組をじっくり見たことはなかったと思いますね。48年後の2020年に、CSで再放送が始まって、菊池さんは視聴をしたのですかね。
「真理ちゃんとデイト」が始まり、真理ちゃんは過労により倒れてしまったのですが、当時の記事を他所様のサイトから引用させて貰います。TVガイドの記事か?
天地のマネージャー、菊池哲栄さんの話
「小柳ルミ子はバレエでからだを鍛えてあるけど、天地は高校時代、スポーツをやってたわけでないし、からだを鍛えてなかった。プロダクションとしては過酷なスケジュールは極力避けたのですがー。プロダクションの健康管理のミスです。できることならゆっくり休ませてやりたい」
過酷スケジュールも極まっていたのですが、会社の人間としてコメントするのは仕方ないですね。
2018年「私は歌手」から引用。
ここから引用していいものなのか、いまさらという気もするし、一部だけなので引用、
当時は余りにも忙しすぎたので、スタッフとはよくけんかをしました。マネージャーも菊池さんだけでは手がまわらなくなって。若い20代の方が付いてくれたんですけど、同じくらいの年だし、スムーズにお仕事が進まないと私も感情的になって、けんかしちゃうんですよね。
そしたら、菊池さんから「お前な、たくさん給料をもらってるんだから、その分もっと優しくしろよ」って怒られちゃって。もちろん「すみませんでした」って謝るんですけど・・・昔の私は意地悪でしたね。今はとても反省しています。
忙しすぎてイライラしていたのでキツく当たってしまった、ということですが、売れっ子タレントと下っ端のスタッフの関係などそんなものであるし、とくに反省しなくてもいいようなことではあるのですが、
スタッフがいないと仕事が回らないし、上に立ってたくさん給料がもらえるのも支えてくれている人がいるからということで、下っ端といっても、いつかは偉くなるかもしれないという話ですね。
次回は本題へ入っていきます。
続く。