「青春時代」の森田公一さんが、病床の天地真理にいま愛の支援・・・
森田公一さんといえば、天地真理さんのヒット曲の数々を作曲した方ですが、「ひとりじゃないの」から「愛のアルバム」まで、「愛のアルバム」は、パリへ旅立つ前日に録音を済ませているので、ヨーロッパ旅行の前までの関係ということになります。
そんな森田公一先生が、入院中の真理ちゃんに慰めと励ましの言葉を・・・という記事を切り取り掲載します。
週刊平凡 77年3月3日号。
下積みの苦労がないから、スターとしての覚悟がなかった。
そんなことあるかと思いますね。むしろ、いきなりスターになってしまったから、売れなくなった時の覚悟がなかった。そちらのほうがまだわかりますね。
デビューから3年間くらい、全てを犠牲にして、アイドル真理ちゃんをやりきったと思うのですが、下積みの苦労をした人であるなら、そんなこと平気でやってのけるとでもいうのですかね。
そもそも、こんなに人気が沸騰した人も、こんなに働かされた人もいないのであって、それを下積み経験者なら・・・というのはおかしな話ですね。誰も経験したことのない境遇にいたのですからね。
スターになる人は、とくにアイドルは、下積みなどせずに始めからスターである人ばかりだと思うのですが、小柳ルミ子さん天地真理さん、それ以前は、下積みを経験してからスターになるものだったのですかね。
天地真理さんは、テレビ初登場のほんのワンシーンで人気が沸騰してしまったのですが、渡辺プロと契約する前は、音楽教室に通って、オーディションもいくつか受けていたし、怪しげなプロダクションと契約してしまったり、芸能音楽関係者ご用達の会員制のクラブで歌っていたこともあり、歌手になるためのそれなりの苦労というか努力をしてきた人なんですね。
アイドルになりたくてなったとか、スカウトされてなんとなく、というわけではなかったのですね。
「ヨーロッパでホテルから一歩も外へ出なかった」
この週刊平凡3月3日号の次号3月10日号で、ホテルに籠っていたという真理さんのコメントが出てくるのですが、それまで一般には、ヨーロッパでは友達もできたし、良い経験をした。とコメントしていたと思います。
無理をいって認めてもらった長期休暇がスキャンダルになってしまって、帰国後に関係者に必死に弁明をしたと思うのですが、中丸さんとは何でもない。同じ飛行機で出発しただけで、全くの別行動でした、と。言葉もしゃべれないで一人でどうしてたんだとなるので、ホテルから一歩も出ませんでしたとなったのですね。
実際には、あちこち見て回って、アイガーにも行ったと思うのですが、森田先生には、外へ出なかったという話が伝わって、何しにヨーロッパへ行ったんだとなりますね。
しかし、スキャンダルは大きく報道されていたので、森田先生の耳にも入っていたはずで、23歳の女がそんな弁明をせねばならないのは不憫であり、歪であると言っているのかもしれないですね。
売れっ子作曲家といっても、所詮は裏方なのですが、それが最近、下積みの苦労をしたトップギャランが大ヒットを記録して、歌手としてもスターとなった。それでスターがどうとか下積みがどうとかそんな話をしているのですかね。
歌手としても売れたから上からものを言っているわけでもないと思うのですけど、他の作曲家の先生にはない説得力がありますね。
2年ほど前から大衆をナメはじめてきたんじゃないかな、
大衆アイドルの権化ともいうべき真理ちゃんが、大衆をナメるとはどういうことなのか。歌手としての自我が芽生えた。自己主張するようになった。ということだと思うのですけど、具体的に何のことなのか考えてみると、
他所様のブログで見させてもらった、ファンクラブ会報75年1月1日号に、うろ覚えですが、
74年9月15日の「天地真理オンステージ」が立派なライブとなった。「想い出のセレナーデ」も評価された。この頃歌がうまくなった。それで自信がついたのか、「自分のやりたいようにやる、ついてこれない人が出てきてもしょうがない」というようなコメントをしているのですね。イメージチェンジ中で、ファンの入れ替えもしていかなければならないということもあったと思うのですけど。
「木枯らしの舗道」の歌詞を自分のいいように書き換えたという驚きのコメントもしているのですが、森田先生からすると、真理は何か勘違いしてるんじゃないか。変な方へ向かってロクなことにならんぞ。と思っていたのではないかと。
いくら国民的な人気アイドルといっても、元々アイドルになりたかったわけでもなく、方向性の違い、歌手として下に見られたり馬鹿にする人もいて悔しかったと思うのですけど、森田先生は、自分の仕事に誇りを持てと言っているのですね。
会社との方向性の違い。ニューミュージックの連中との付き合い。フォークがやりたい・・・
真理さんのコンサートというと、人の曲を多く歌っていたようですが、もっと自分の曲を歌ってくれてもよかったのにとも思うのですが、コンサートで歌う曲は、わりと自分で選ぶことができたようで、それは、自由な発言が許されなかった真理さんの自己主張であったと思いますね。
あんな方向でいきたい。こんな曲を歌わせてほしい。しかし周囲の反応は、音楽へのこだわり?何だそれは。真理がリサイタルで何を歌おうが知ったことではない。という反応であったと思いますね。
森田先生などは、「歌はこれ以上うまくならなくてもいい」などと言っていたようです。周囲は音楽のプロばかりで、渡辺社長でも元はミュージシャンであったようなので、しょうがないことですけどね。
病気については次回に。
というわけで、森田公一さんが愛の支援・・・という記事でしたが、森田先生は、2年半後の復帰に際しても、大きな力になってくれた大の恩人であります。
しかし、森田先生が夜ヒットなどで「青春時代」を歌っている映像を見ると、しびれますね。一癖も二癖もありそうな顔としゃべり方もいいですけど、歌い方も素晴らしい。
「天地真理オンステージ」でも「悲しき天使」と「トップオブザワールド」など、バックで美声を轟かせていますが、森田先生からしたら、そこらの歌手なんてみんな下手に見えただろうし、アイドルの歌唱なんぞにうまいも下手もない。それくらいの感覚であったのではないかと思うのです。
おわり。