先日BSでやっていた「家族はつらいよ」が録画してあったので見ました。

 2013年に山田洋二監督が小津安二郎監督の「東京物語」をリメイクした「東京家族」。

 2016年にその「東京家族」さらにリメイク?したのがこの「家族はつらいよ」という映画。

 まぁリメイクという言い方では表しきれない二作品ではありますが…

 ようは2013年は小津監督の”棒読み調”をトレースしてみる実験。

 2016年は自作の”男はつらいよ調”をトレースしてみる実験。

 それぞれの演出を歌舞伎の型(演出)になぞらえて様式美でやってみた…私はそう感じてこの二作品を鑑賞しました。

 そしてその実験の結果はどうであったか…個人的にはどちらも面白さには影響せずという結果だったと思います。

 (どちらかと言えば詰まらない方向に働いてしまったかも?)

 

 ハッキリしたのは小津作品の面白さの根本は演出よりも脚本にあったということでしょう。

 それでは地味な小津作品の脚本の面白さがどこにあるのか?

 漫画家としてボツも含めて数百は脚本を考えてきた私の長年の研究によれば小津作品の脚本には黒澤明監督作品、そして山田洋二監督の「男はつらいよ」と共通の”ある面白要素”があるのです。

 

 ”ある面白要素”…それはスターウォーズ的要素なんです!

 そもそもスターウォーズ自体黒澤監督作品に影響を受けているのですが実は小津作品も「男はつらいよ」も滅茶苦茶スターウォーズなんです。

 どちらも家族の中におけるダースベイダーとルークの闘いを描いているんです!

 だから滅茶苦茶地味なのに滅茶苦茶エキサイティングなんです。

 例えば「男はつらいよ」で言うと寅さんが理屈の通用しない無敵のダースベイダーでさくらがレイアで博がハンソロで満男がルークみたいな感じです。(御前様がヨーダ)

 帰って来る寅さんに怯える家族の恐怖演出とかまさにそれですよね?

 そして寅さんが旅に出ると今度は寅さんは若いころの純粋なアナキン状態になってアミダラを追いかける。

 もう一方の小津作品はそのスターウォーズ的な善悪の派手なぶつかり合いを人間の心の闘いに落し込んで笠智衆がフォースのみで娘や息子に立ち向かうような演出にしている。

 それは善悪の激しい対立が宇宙にも仲の良い家族の中にも自分一人の心の中にもどこにでも同じレベルで起こり得ることだと分かっている人にしかできない演出なのです。

 そして残念ながら「東京家族」と「家族はつらいよ」には、「東京物語」にあった魅力的な悪もフォースの勝利も存在しない。

 ごく普通の人間たちの内輪もめが悪も正義もなく混沌の中で収束していく…と私は感じました。

 「家族の中に悪なんて存在しない!」という人もいるかもしれませんがその観点でいくと宇宙にも悪は存在しないのです。

 だってダースべイダーだってお父さんなんだから。

 幸福な未来につながる言動が善で、不幸な未来につながる言動が悪であるならどんな些細な場面にも善悪の区別はあるはずで、そこを見極める繊細な観察眼が小津安二郎監督の凄さなのだと思います。

 

 しかし映画の良さと言うものはスターウォーズ的な面白さばかりではありません。

 歌舞伎的解釈(と思われる)演技の型の味わい深さは一度は見て損はないと思います。