よくダメな映画監督が「解釈は観客が考えて下さい」みたいなことを言いますが、コレ絶対ダメですよね?
作者が見つけることを放棄した解釈を何故観客が変わりに見つけなければならないのか…例外なくそのような作品はゴミです。
一方、作者の中に明確な解釈があった上でその作者が「別の解釈も自由ですよ」と言っている場合は良い作品であることが多い。
何故良い作品になるのかと言うと、苦労して見つけた答えには普遍性が伴うからです。
普遍性がある=別の角度から見ても破綻しないので複数の解釈が生まれるワケです。
中には善悪をひっくり返してなお物語が成立してしまうような完璧な世界が構築されている作品もある。
ファーストガンダムとかそうですよね?
最近の例で言うとofficial髭男dismの「Pretender」という歌の歌詞。
この曲を初めて聴いたときの感想は
「好きだ愛してると連呼してやっと付き合ってもらった超美人の彼女がいたけどメジャーデビューしてスターになってモテモテに。でもこんなご時世だから二股交際とかで文春砲くらったら大変だ別れてフリーになろう。ついては都合の良い別れの歌を作って彼女に納得してもらおう。グッバイ」
…そんな歌に聞こえて全然好きになれなかった。
でもそんな解釈をしていたのは自分だけで、多くの人は「普通の男が頑張って憧れの女性と仲良くなるけど結局失恋した歌」として解釈し、おそらくそれが本来の解釈でありヒットしたワケです。
でもこれって凄いことで、この曲は女性が振られる歌としても男性が振られる歌としてもちゃんと成立しているのです。
解釈によって主人公の善悪がひっくり返るリバーシブルソングなワケです。
そしてどちらにしても「君は綺麗だ」という事実は変わらないワケです!
凄い!