人は何かを成したときにひとしきり喜んだ後、一人虚しくなるのは何故か。
それはどんなに自分の成果を自分一人で喜んでも一人分のエネルギーしか発しないからです。
よく心理学者などが”自己肯定感の強い人=親に愛されて育った人”と定義しますがこれはエネルギーの観点で言うと非常に理屈が通っています。
親から愛されている人間というのは何かを成す度、本人が喜ぶ以上に親が喜んでくれる。
その親が喜んでいる姿を見てまた子も喜ぶ、そして子が喜んでいる姿を見てさらに親が喜ぶ…と言うようにエネルギーが何倍にも増幅します。(ただし形式的に褒める行為はエネルギーを発していないのであまり意味がありません。)
仕事においても同じでお客さんの笑顔が見える仕事というのはエネルギーを増大させます。
つまり自己肯定感には必ず他者が必要で独りぼっちの無人島に漂着している人が自己肯定感について考えても無意味なのです。
しかし親がいつも不機嫌で子供が何をしても不満なタイプだったりするとエネルギーの相乗を知らない大人に育ってしまいます。
私の親も自分の人生を生きるのに必死で子供に全く無関心でいつもイライラなタイプでした。
そんな私が無意識に心がけていたのはどんな小さなことでも複数の人と共有できる喜びは分け合って喜ぶということです。
例えばパンを誰かと分け合うとかコンビニで会計を済ませたときに笑顔で会釈をするとかそういうことです。
他者とのエネルギー交換とその増幅を意識していく。
すると不思議なことに少しずつ他者から好かれるようになりドンドン世界からエネルギーを貰えるようになる。
そこに気付くまでの自分は他者から好かれようと必死に目立つことや社会的成功だけを考えていました。
”他者=自己をとりまく世界”から肯定されることで初めて自己肯定感が生まれる。
つまり”自分で自分を肯定するのにはあまり意味がない”ということです。
いくら自分で自分を100%肯定できても世界から嫌われ憎まれ呪われていたら死にたい気持ちになるのです。
世界を憎まずに世界を愛して仲良くすることでこの世界が居心地の良い世界になり「ずっと生きていたい」と思うワケです。
自分が何かを成すたびに世界が一緒に喜んだり悲しんだりしてくれる。
それで虚しさが消える。
自分一人で自分を肯定しても虚しいだけですもんね。
個人的な考えなので本来の”自己肯定感”とはズレているかもしれませんが…
そんなことが書いてあったかどうかあまり覚えてはいませんが最近の私の考え方の基礎となったテーラーワーダー仏教の本をご紹介いたします。