ここからは高校の話になります。
もう章とか題名とかめちゃくちゃだけど書きます。

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いったいどこなんだこの高校は?見たことも聞いたこともないぞ。
でも母さんは違った、すごく喜んでいた。

「まだあんたでも行ける公立高校があるなんてよかったね。」って。
考えてみれば確かにそうだ。中学2年の夏から学校に行ってない人間を受け入れてくれる公立高校なんて普通ないよね。

その日は検討してくださいと言われ話は終わった。でも心は決まっていた。たとえどんな高校でも高校には行きたい。
そんな気持ちが大きくあったからだ。

それでも気になることが1つあった、偏差値だ。
自分で言うのもなんだが別に勉強できなかったわけではない。高校進学に関しては上から3番目までには確実に行けるって感じだった。だから余計なプライドがそうさせたんだと思う。

高校進学ブックみたいなやつで調べた。


・・・・・・・・・・


・・・・・・・・・


・・・

え!?


偏差値30代前半でした。正直笑った。

今までの自分が何をしてきてしまったのか現実にぶち当たった瞬間だった。自分ではほんの少し休憩してただけなのにその間に自分の居場所は大きく変わっていた。

でも行くしかないと思った。Aも同じ高校に行く予定になった。

高校受験に向けて勉強した。久しぶりの勉強、自分でやることはこんなに苦痛なのかと思った、数学の合同・・・

わからん。

古文

・・・

わからん。

理科

・・・

日本語か、これ。

こんな感じ、自分でもびっくりするくらい頭が悪くなっていた。新しいことは一切わからなかった。


でも偏差値も偏差値だしなんとかなるだろとなぜか開き直ったことを覚えている。

そのまま高校受験に挑むことになる。



【本番】
緊張した。何より人に。考えてみればいつ以来の人だらけの場所だろう。以前の自分は何も怖くなかったのに今は人目が怖い。(これは今でも治っていない。)
Aと一緒にいたことしか覚えていない。

結果は合格でした。何の問題もなかったようです。
合格発表当日は緊張したけどAと自分は何故か自分の合格番号より先にお互いの合格番号を見つけるという珍事もありました。

こうしてほとんど中学校に行かなかった自分は晴れて高校生になることができたのです。

両親は喜んでいた。がんばれよって、今からでもやり直せるからって言ってくれた。がんばるって思ってた。

実際は違ったんだ。



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次回は高校生活について書くつもりです。

不登校のおバカちゃんは高校でどんな生活をしていたのか、よければ見てください。
この章のボリュームはすごいことになると思う。思い出しながら書くから時系列とかバラバラになるかも。

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誘いにのった自分は36.9度といういたって平熱の中、熱が上がるといけないからと言われ家に帰された。

母さんは驚いていた。

「あんた、どおしたの!?だいじょうぶ?」

オレは嘘の嗚咽をして寝込んだように記憶している。その日の記憶はこれ以上ない。

次の日からがこの物語の本当のスタート。その朝が来た。


オレはこのことを何一つ覚えていない。これは本当に覚えてないんだ。でも確かにこう言ったらしい。


「動けない。」


最近になって本当に体が動かなかったと母さんから聞いた。

その日休んだ。


中学生の休んだ時のわくわく感はみんな知っていると思う。昼間に見れないテレビを見て昼ごはんも家で食べれる。すごく得した気分になるあれだ。

この日はその程度の普通の日として終わった。


次の日からまた休んだ。

ずっと休んだ。






本当にずっと。


この間に失ったもの、作ってしまった物を書いていこう。


・友達
・高校受験
・青春
・親の心への負担
・弟の信頼
・自分

書いてみると少ないかもしれないけど心の部分では後悔や反省、劣等感とかたくさんのものがあったと思う。


こっからはエピソードでも書いていこうかな。

学校に行かなくなってから母さんは比較的早く自分に慣れて接してくれた。昼ごはん何食べたい?おいしいもの内緒で食べちゃおうか?生協のチラシを見て、これ2人分なら食べてもばれないかな?など本当に優しくオレを扱ってくれた。自分の居場所がある気がした。優しさに甘えてすべてを捨てた。

父さんも何も言わなかった。普段通り、いつも通り自分に接してくれた。

本当に今でも感謝している。ありがとうって恥ずかしくて言えないけど本当にありがとう。

弟は違った。オレには年後の弟がいる。荒れに荒れていた。オレが学校に行かなくなったせいで。
今でも弟の人生をひっかきまわしてしまった自分がいることはわかっている。本当に申し訳ないことをしたって思っている。謝っても許されることじゃないこともわかっている。
当時は自分もまだまだ未熟で逆にキレることも多々あった。時には殴り合いにもなった。バリバリに鍛えてたし、正直その頃の1歳は大きい。いつもねじ伏せる感じだった。多分弟は違うって言うと思う(笑)

家のカギの開け閉め、風呂の順番、ご飯を食べるタイミング、すべてが喧嘩の素になった。母さんは泣いていた。もう1人の弟はさぞかし怖い思いをしたんだと思う。

あの頃のことを振り返るとそれこそいつ間違いが起きてもおかしくない状態だった。


状況はわかってもらえるかわからない。

ようは親は現実をなんとか受け入れてくれて弟は大荒れ、もう一人の弟はどうしていいかわからないってとこです。

でも弟が荒れたのには大きな理由があったんだ。
弟の名誉のためにも言っておく、これは母さんからきいたことで弟からは1回も言われたことがない。

母「あの子、学校でいろいろ言われたみたいなのよ。」

内容としては、
・オレの同級生にクソ野郎がいてそいつが弟捕まえて「おまえの兄貴なんで学校こねーんだよ」って言って無意味に殴られた。
・オレの同級生に「お前の兄ちゃん高校どこ行くことになったの?頭良かったしなんとかなったの?」って聞かれて何も言えなかった。
・同級生が教室にどこからか名簿を持ってきてお前の兄ちゃん学校来てないんだろ!?なんでだよ!?ってからかわれた。

オレは悔しかった、情けなかった、怒った。学校まで行かなくなって初めて殴りこみに行こうと思ったくらいだった。
でも母さんに止められた。

「弟のためにも落ち着いて。」

我慢するしかなかった。もうこの頃にはごめんなんて話せる状態の仲ではなかった。最後に母さんはこう言った。



母「あんた今まで学校の中心で活動してきたでしょ?あの子はずっとあんたのこと尊敬してたのよ、その尊敬してた人がいきなりこうなったからあの子もどうしていいか分からなくなってるのよ。」

これは本当に心をえぐられた。


この日は1晩泣いても泣ききれなかった。


苦しいことも書いているが楽しいこともたくさんあった。

同じく不登校になったやつと親友になった。そいつとは今でも交流がある。仮にAと呼ぼう。

Aは同じ部活のやつで割と仲良かったように記憶している。

学校に行かなくなってからはよく家で遊んだ。親同士も仲良くなって心の支えができたのかなって思った。
特にこれってエピソードはないけど本当に心を支えてもらった親友だ。
彼とはこの後同じ高校に進学することになる。


他には不登校の間に確認できたとても大事なことがある。
オレには親友がいたってこと。BとCだ。こいつらとは小学校からのつきあいでいっつも一緒に遊んでいた。

オレが学校に行かなくなってどのくらいしただろうか。最初は連絡帳なるものや学期末の資料を友達が持ってきてくれた。でもだんだん誰も自分の家までわざわざ来てくれる人なんていなくいなっていた。

だけど2人だけは定期的に来てくれたんだ。本当にうれしかった。今思い出しただけでも涙が出てくる。この時ばっかりは本当に楽しそうだったと母さんも言ってた。ありがとう。



そんなこんなでオレは中学2年の秋からずっと外に出ないで中学3年の秋になった。この頃になると不登校に慣れた自分は何も感じなくなり開き直っていたんだと思う。ところが親から高校をどうするのか聞かれ始めて現実に気付いた。

行くところなくない!?

焦った。

その頃だWさんに出会ったのは。
どうやら中学校からの刺客として送り込まれてきた爺さんらしい。
この爺さんがあっぱれな人だった。
大きくて全部を包み込んでくれそうな人。
会ったその日に高校の進学先を勧めてくれた。

「ここなら公立高校で君たちみたいな人も受け入れてくれるよ。」








差し出された高校名は全く知らない高校だった。

一体どんな高校なんだ!?


次回へ続く。

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今回はだいぶ時間が空いてしまった。次回は早く書けるようにしなきゃ。
よんでくださった方ありがとうございます。

またお願いします。