役所さんにずっと見惚れていました。公共トイレ掃除を生業とする平山という男。なんてチャーミングで優しさと色気の溢れ出る方なんでしょう。愚直で所作も美しい。

 

ラストシーン。平山と一緒に私も目頭が熱くなってしまい涙がこぼれ落ちてしまいました。まさか泣かされるとは。こんな風に私は生きられない。もっと欲深いから。だけどこんな精神で生きられるのなら…どれだけ心が楽にそして豊かになれるのでしょうか。平山の生き方に心が浄化されていくようでした。

 

玄関を出るとき必ず空を見上げる。あくびもしたりするけどいつも微笑んでいる。木漏れ日を愛し木の芽を丹念に育てる。『木』という小説を読んでいましたね。木と人間の生を照らし合わせているのでしょうか。新芽の頃があり新木を経てそしていつかは大木へと成長していく木の成長は人間の一生と変わりませんね。

 

平山が眠りにつく前に読んでいたのが『野生の棕櫚』。この小説、社会の本流から外れてしまった男女の話なんですね。平山の読書センスが秀逸。

家出してきた姪が平山の書棚から借りて読んでいたのが『11の物語』。「すっぽん」という短編に出てくるヴィクターという主人公が「まるで自分みたい」というような姪のセリフがあって。これまたどんな物語でヴィクターという主人公は一体どんな人間なのか気になってしまい調べたのですが、支配的な母親に抑圧されて生きる少年の心理が痛々しいほどにそして残酷に描かれているみたい。

 

平山は父親との確執から逃れるように今の生活を選んだのかもしれないですね。妹(麻生祐未)の口から発せられた「父」という言葉に今まで見せたこともない歪んだ表情と悔し涙を見せたのが印象的でした。

 

「海の先はどうなってるの?行ってみない?」という姪の言葉に対し「今度ね」と答える平山。「今度は今度。今は今。」この言葉を口ずさみながら自転車をゆらゆら漕ぐ二人。

 

なんて言えばいいかな。多くの物語は今この瞬間を失わないために海を見に行きそこから何かを掴みとって心が動き出したりしますよね。だけどこの映画の「今」はそうではないんです。平山は海の先を知ろうとしない。この感覚に新鮮さとなぜだか深い安堵を覚えました。

 

カセットテープで聴く音楽が渋くてセンスが抜群に良い。うまく映画音楽となっているのも良かったですね。最初の曲が特にカッコよかった。あとで聴いてみよう。

 

************************

 

我が家のリビング(正確にはダイニング)木漏れ日の照明なんです。私も木漏れ日って好きなんだ。だけどこれだけでは暗いのでダウンライトもリビング側の照明も必ず一緒に点けるけど、もう少し明るい照明がいいかなって今年あたり買い換えようと考えていたのです。

 

だけど平山が愛でる光を感じたいからしばらくはこれでいこう。