時計じかけのオレンジ

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随分前に観ているのですが

書き残しておきたい衝動に駆られてしまいました。

 

時計じかけのオレンジ

 

 

衝撃的な映像に頭痛と吐き気が襲いかかりました。

 

観終わってすぐには

やっぱり私には理解できないと拒絶。

 

しかし、冷静になり

ひとつひとつ反芻してみると

なかなか痺れる映画で

危険な高揚感に包まれている

自分に気付いてしまったのですね。

アレックスのような感情が

私の奥底で眠っていたら困るのだけど。

 

 

原作が読みたくなって

翌日にはAmazonでポチっと購入。

 

スラング(俗語)のきいたアレックスの語りが

ほとんどそのままですらすらと読めます。

 

 

舞台は近未来のロンドン。

退廃した管理社会。

 

クラシック音楽を愛するアレックスは

平凡な毎日にうんざりしていた。

 

唯一といっていい気晴らしは

バーでドラッグの含まれたミルクを飲み

凶悪な仲間たちと暴力に明け暮れること。

そして性の解放。

 

 

ある事件の日、アレックスは仲間に裏切られ

逮捕されてしまう。

 

刑務所に収監されたアレックスでしたが

2年が経つ頃

刑期を短くするという交換条件のもと

 

残忍な人格を善良な人格に矯正するという

国家が作り上げた奇妙で恐ろしい

治療法の被験者となる。

 

 

このあとにもお話は続きますが

はじまりはだいたいこんな感じ。

 

 

何が気分が悪いかって

私はアレックスの暴力性よりも

人権を無視したこの“ルドビコ療法”という

過激な治療法。

 

目を覆えないように固定される。

 

 

原作まで読む必要はないかと思いますが

映画の世界は衣装や美術や音楽が独特で

惹きこまれてしまいます。

 

アレックスたちが夜な夜な繰り出す謎のバー。

新しいコレクションの発表の場かという。

ここでドラッグ入りのミルクを飲む。

 

 

不気味に響き渡る音楽が

観客を一気に『時計じかけのオレンジ』の世界へ

いざないます。

 

クラシカルで荘厳でありながら

(ここもベートーベンの第九だったかな?)

 

シンセサイザーか何かで機械的に生み出された音。

 

たぶん当時としてはこの近未来的な

未体験の音に驚かされたのでは?

 

 

アレックスたちのファッションやビジュアル。

これも見過ごせないんですよ。

 

黒ハットに片目だけのつけマツゲ

 

 

そして有名なこのファッション。

う~む。

 

 

この服は貴族っぽくて色使いもデザインも気品がある。

レコード店に現れた時。

原作では隣の女性たちがまだ10歳に満たないかどうかという

エグイ描写。

 

 

私がその完成度の高さに見入ってしまったのが

作家の自宅を襲うシーン。

 

見事なまでの暴力とリズムの融合

 

“雨に唄えば”に合わせて

歌って踊って暴れて殴る蹴る。

 

 

♪I'm singing in the rain~♪

蹴り。がきちんと取れている)

 

♪Just singing in the rain♪

ステッキでコツン。←ここもきちんと一拍

 

 

口を覆うためのテープをビッと出したり

(そこもきちんとが取れている)

 

2蹴りして2拍を取ったりと

これはなかなかできるものじゃないなと

アレックスの絶妙過ぎるリズム感に

釘付けですよ。

 

軽やかなステップと唄とダンスで

暴力を芸術にかえてしまう。

これは役者の持つ天性の才能かなって。

 

それでもとんでもないのですが。

 

 

撮影裏話として

単調だったこのシーンの撮影に

納得できなかったキューブリックは

 

「何か踊りながらできない?」

と提案。

 

アレックス役のマクダウェルが

そらで歌えたのが「雨に唄えば」だけで

即興で行われたというのだから

凄味を感じますね。

 

しかもキューブリックもえらく気に入ったそうで

権限を買い「雨に唄えば」はエンディングにまで

使われます。

 

 

原作では

ここで作家が書いていた原稿のタイトルが

『時計じかけのオレンジ』。

 

 

この不思議なタイトル

どういう意味だ?って思いますよね。

 

イギリスの労働者階級の人々が

使っていたスラングで

“Queer as a Clockwork Orange”

という言葉があって

 

“表面上はまともに見えるが

その中身はかなりヘン”

という意味があるらしい。

 

もうひとつの意味としては

作者であるアントニー・バージェンスが

暮らしていたマレーシアの言葉で

人間のことを“orang”というので

 

“A Clockwork Orang(e)”

“時計じかけの人間”とも

解釈できるとか。

 

ちなみに私はこちらの解釈の方が好き。

アレックスは見た目もなんだか普通じゃないしね。

 

 

映画好きの方でしたらご存知かと思いますが

原作と映画でラストが全く違うんですよね。

 

映画『時計じかけのオレンジ』が

カルト的人気を誇る理由として

そのラストにもあるかと。

 

ルドビコ療法によって人格を変えられ

赤子のように穏やかになったアレックスでしたが

 

最後に不敵な笑みを浮かべて

また元の暴力性を取り戻す。

(かのように見える)

 

 

小説はと言うと

 

とりかえしのつかない暴力を楽しんできた

自分のような人間でも結婚したいと願い

子どもが欲しいと思うんです。

 

この更生がルドビコ療法のものなのかと

言われればそれだけではないと思いますが

改心したアレックス。

 

原作はこのラストでもちろんいいのですが

 

人権を無視した療法で改心して

あの激しかった暴力が

ただの若気の至りで終わりになるのは

映像としては物足りないといいますか

なんだかもったいない気がして。

 

ルドビコ療法なんかに支配されず

凶暴性を取り戻し邪悪な笑みを浮かべて終わる

アレックスの方がゾッとするし面白いでしょ?

あくまでも私の感覚ですが。

 

サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』もそうですが

一時代前の海外文学の若気の至りは半端ない。

 

 

でも小説で好きな一節がありまして

警察に捕まってしまったあとに

 

 

おれ、やることやっちゃったな。

でも、おれ、まだ十五歳なんだぜ。

 

 

この可愛らしい言い回し。

 

君はまだそんなに若く

あどけない年齢ではないか!

 

退廃した無機質な社会を作り上げた

大人たちに責任さえ感じる。

 

もちろんアレックスたちが行っていることは

犯罪であり理解はできないけど

 

若者のありあまる情熱やパワーを

どこにぶつければいいのだろうって。

 

今のコロナ禍にも通ずるものを

私は感じてしまう。

 

誰にでもお薦めできないのは確かで

賛否両論巻き起こす作品ではあります。

 

 

最後にひとつ。

『雨に唄えば』を観る前に

絶対に観てはいけない映画でもありますね。

 

もう普通に観れないし聴けない( ̄▽ ̄)

 

 

 

I'm singing in the rain~

聴こえてくるものならば

 

アレックスの蹴りしか思い浮かばない。

 

 

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眞子さん、圭さん。

ご結婚おめでとうございます。

 

二人の強い信念と深い愛

絆を感じましたし

 

二人が清々しい表情をしていたのが

何よりも印象的でした。

 

小室さんは開口一番。

「私は眞子さんを愛しています」

 

実直でいい青年じゃないの。

 

この状況でこんなストレートな言葉は

なかなか言えないと思う。

 

鋼の精神力の持ち主ですね。

 

努力家であり野心家でもあり

困難を乗り越える力のある人かと。

 

バッシングだらけの期間を経ても

その目に濁りはなく私はいいなと感じましたよ。

 

もう日本の低俗なマスコミと

ジャーナリストとも呼べない記者たちは

二人をそっとしてあげてほしい。

 

(金銭問題だって二人には関係ないでしょ。)

 

 

 

先のことはわからないけど

幸せになってねと心から思いました照れ

 

 

改めてご結婚おめでとうございます。

 

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