江戸時代、4つの囲碁家があった。一番強い一門が、一番多くのお米などのほうびをもらった。そのため、命がけの戦いをした。
有名なのが、井上因碩と丈和の、名人位をめぐる暗闘である。丈和の名人位を黙認したが、いつまで立っても自分にゆずらず、だまされたと感じた井上因碩は、若き弟子の赤星因徹を丈和と対決させて、丈和の引きずり下ろしをはかる。1835年のことである。当時の囲碁は、何日もかけて打たれた。夜か翌日の対局再開まで、門の一同が集まって、研究会を開いた。
序盤、因徹は、門の秘手、大斜定石の新手で優位に立つ。しかし、丈和は、歴史に残る三妙手で優位に立つ。三回の打ち掛け、4日目に因徹は負けを認め、投了、そして吐血した。
2か月後、因徹は、亡くなった。
因徹は、重い結核を患っていた。
無理はしない、重度のストレス下にならない。突然、精神的なストレスから、ケケケとかなって倒れたら、環境を変えよう