「鏡開きっていつ?」
これ、毎年言ってる気がする(笑)

今朝早くに鏡開きならぬ、鏡片付けを終えました。
また来年…


この築地かごにはお正月用品(ちりめん鏡餅、陶器鏡餅)、ガラスの飾り、陶器の月見団子などが収納されてます。


洋服ダンスの上

ジャストフィットのIKEAの白ボックスにはクリスマスやハロウィンの飾りなどが。

築地カゴは正月用とお雛様用の二つ

いずれもほぼ天井に着いてるので、地震が来ても破壊されなければタンスが倒れる余裕なし。

まあ、地震のエネルギーなんて大きさが分からないので、どうなるか‥計り知れませんが。

地震用の突っ張り棒をしなくても、ジャストフィットの箱などを代用できるので、私はこちらを採用してますが、今後高齢になる前に変更しようかと考えています。



玄関には干支だけを飾りました。

この辰飾り、龍というより犬に見えるのは私だけ?


では、ここからが本題です。


こんな題材、めっちゃ久しぶりです。
義父は頭、義母は肺機能で70代前半で亡くなったので認知機能に異常をきたす前でした。
私の母方の祖父は77歳で老衰、祖母は96歳で老衰(多少の認知機能低下はあったが認知症とまではいかなかった)
父方の祖父は私が生まれる前に亡くなってたし、祖母は多分老衰。
ここまでは認知症になる前に亡くなってます。


明らかに認知症だったのは、実母かな?
なんかおかしいなぁと思い始めたのは亡くなる5年くらい前。
言動が明らかにおかしい時がありましたからね。
でも、まだらな感じ。
亡くなる3年前に明らかな認知障害が出始めました。
物忘れでは片付けられない記憶障害
感情のコントロールが効かなくなり、泣く、喚く、激しく怒る
仙骨骨折から排尿、排便困難になり、歩行も危なっかしくなり、ふらつきや転倒が相次ぎましたね。
一緒に住んではいないけど、ほぼ毎日母のために動いていたように思います。
家でソファに座る事もないんじゃない?ってくらい、朝から晩まで。
最も怖かったのは、母からの電話攻撃
ヘルパーさんのいない時間に様子を見に行き、帰った途端に「来て〜〜」「なんか寂しいし、来て欲しい」「あれがない」「これがない」「今じゃないとあかん。死んでしまう」
電話とって「あんなぁ〜」が聞こえると、鳥肌が立つくらいになってましたね。
段々、母の家の匂いすら嫌になって、玄関開けた途端、胃が痛くなったり、吐き気がする時もありました。

そんな体験もしながらも、最後まで看取ったので、今は後悔もないし、逆に介護した日が懐かしいくらいです。

介護は「お下の世話」だけではありません。
お金の世話、ヘルパーさんやケアマネさんとのやりとり、あらゆる手続き、衣食住を不便なく過ごせるように関係機関との連絡や手続き。
配薬や薬の管理。
そして、介護される人への心のケア
ご家族さんじゃないと出来ないことも多い。
キーパーソンになった時の仕事の多さにも辟易としますね。

なぜ、今になってこんな話になったかと言うと、昨年末旦那さん側の親戚の1人が認知症になり、先月から老人ホームに入居したという事で私に連絡が入りました。(この手の話は甥っ子(旦那さん)ではダメと思ったんだろう)
もともとから気の強い方だったので、かなり言葉がきつくてキーパーソンの娘さんが「もう嫌だ」と愚痴ってるって話でした。
私にその話をしてきたのは、認知症患者の妹さん。(旦那さんの叔母さん)
しきりに出てくる「親だから」「親なのに」

うーん、これね。
そりゃね、産み育ててきてくれた恩があるから、こんな風になったら世話するのが当たり前じゃないってことだと思うんですけど。。
私は、そうは思わないかなぁ?
娘さんのできる事を精一杯やられてる
それでも、腹が立つんですよ。
実の母親だから、遠慮がない物言いをされるだろうし、ぶつけるところが娘さんにしかないから、真正面から優しかったり、自分の味方だった母親からぶつかってこられるといくら子供でもへし折れますよ。
「あなたみたいに優しくすればいいのに、本当にきつい言葉で母親に怒ってて。親なのにね」
ちがうちがう。私はいくらでも優しくなれるよ。
当事者じゃないから
世話してる、責任ある立場じゃないもん。
言葉だけならいくらでも優しくできる。

ここよ、介護って時には他人に任せるのがいい時がある
親だからって一から十まで面倒みる必要ない。
他人は優しくできる。ましてやお仕事で介護に従事されてる方は優しく親切である事はプロの仕事として当たり前のこと。
同じことを子供はできませんよ。
できる人もいると思うけど、できてないからって他の人が責めたり、陰口いうのはあかん。
だったら、四六時中、姉の世話してみれば?って思うんですよね。

周りで見てる人
介護を行ってる本人が「親だから頑張る」と言うのは良いとして、周りの外野は「親だから」「親なのに」って言葉は励ましでも慰めでもなく、追い込んでるってわかってほしいね
本人が「親だから私が頑張る」って見るほどに疲れていたり、辛そうなら「親でも他人に任せても良いと思うよ」って言ってあげてほしい…
…って私は思うので、そう声かけてます。
私自身、この言葉が大嫌いでした。
それも世話もなにもしてない親の兄弟が言ってくる
久々に会った友達が言ってくる
「親だからねー、仕方ないよ〜。私もいつかそんな日が来たら恩返ししたいわ」なーんて綺麗事?って思って聞いてた。
そう言うこと言う人って私の感覚からすると実際に介護とかやってない。年老いた親がいたとしても実際に日々の中で介護に携わってない。
特にただ老いていくだけでなくここに認知症が加わると、親は親ではなくなる。
優しくて、慈愛深い親はその姿が見えなくなる。
きついこと言われたり、聞きたくない言葉を叩きつけられたり。
でも、それがたまに急に優しくなったり。
子供はその度に反省したり、奮起したり。


ふと、考えたら、旦那さん側のご親戚も私側も認知症の介護をした人っていないんですよね。
なので、今回旦那さんの叔母さんから私に直接電話があったわけで。
「俺と話すより、母ちゃんが話を聞いた方が気持ちわかるやろ?」
旦那さんのご親戚と結構なんでも話せる関係を築いてきたので、今回も愚痴やらアドバイスやら色々としてたんですけどね

と言うことで、介護からすっかり離れてた私ですが、たぶんこれからまた愚痴の聞き役になりそうです。
「もう、話してたらなんだかモヤモヤしてたのが楽になった気がするわ。また、いつでもいいから電話していいかな?」
「はい、どうぞ。私でよければお話し聞きますよ。そのうち、叔母さんのお顔見にホームにも行きますね」
「いやぁ、あなたのこと、「だれ?」とか言いそうよ」
「あー、私なんてそんな長い付き合いでもないし、わからなくて当たり前ですけど、叔母さんの無限ループの話に付き合うことはできますから、話し相手になりに行きますよ。母に鍛えられたから大丈夫!」
「心強いわぁ。私なんて「どうして同じことをいうのよ」って怒ってしまって。ダメだってわかってるんだけどね」
「あはは、みんなそれで苦しめられますよね。私もそんな感じでしたよ。今だと穏やかに何回でも同じ話聞けるけどね」

叔母さんも、娘さんも初めての認知症患者さんの言動にかなり困られてる様子。
しっかりされてて、歯に衣着せぬ物言いの叔母さんだっただけに周りも驚きと戸惑いを隠せない様子。
ご主人を亡くされてから独り暮らしされてて、娘さんと1ヶ月に一度、亡くなられたご主人のお墓参りを楽しみにされてた。
寂しさもあったんだろうな。。
だから、早い時期に「叔母さん、いつでも話し相手になりますから電話してきてくださいよ」って言ってたんだけどねー
まあ、甥っ子の嫁さん相手じゃダメか。。