アメンバーになられた皆様。
いつも読んでくださってありがとうございます。
アメンバーの申請方法を見直したときに書いたように個人情報が入る恐れがあること、また面白半分で読んで欲しくなかったこと、そして後一つ
もしも、今の私と同じ悩みを持ち、苦しんでいる方が、ここを読むことでより一層苦しむことにならないように…
末期がんのことを書いていますので、それを読むことでご自身やご家族に当てはめて苦しむことになる方は読まない選択をされるか、もしくは自己責任でお願いします

暗い話が苦手な方、病気の話が苦手な方、汚い話が苦手な方はこの先は読まないでください。
「父の話」「母の話」は決して明るい話題にはならないと思いますので…


そして、中には「こんな話、ブログで書くこと?」と思われたり、「親に対して失礼ではないか?」などの意見もあるかもしれませんが、今の私は書くことで誰かに聞いてもらえるだけで、気持ちを落ち着けて前を向いてるような気がします。

なので、包み隠さず書いてるのでそのようにご理解ください。。


前書きが長くなりましたが、「父の話」に続き「母の話」を書くことになりました。

昨日、「ようやく詳しい検査の結果が出ましたので、病院に来てください」と呼ばれました。それも「お姉さまとお二人揃って」
これを姉から聞いた時「やばいのか?」と思いました。
でも、どこかで楽観的に考えよう!
きっと大丈夫だ!と思ってました。
口では平気そうに言ってても、そんなに強い人間ではないのでビビってたと思います。
でも、まだ決まった事でもないし、もしそうだとしても年齢も年齢で、ペースメーカーを入れてる母は身体の検査も毎月毎月してるし、結構精密検査的なものもしてきたので初期ならなんとかなるかも…高齢者は進行も遅いっていうし…
父は胃カメラとかもしてなかったし発見が遅れたんだと言い聞かせて。

嵐の展覧会に友達と言って楽しい時間を過ごして、元気をいっぱいもらって病院に向かいました。
姉と待ち合わせてから、先生のお話を聞くためにカウンセリング室へ。

先生がこれまでの過程と胃カメラの画像などを示しながらゆっくりと話されました。
「今日はかなり厳しいお話になります。見つかって欲しくなかったものが見つかりました。吐き気と重度の貧血でここに入院されてすぐに胃カメラで検査した結果は十二指腸の腫れが見られたものの、胃がんはありませんでした。しかし貧血がひどくなってたので、輸血をして十二指腸の腫れの引くのを待ちました。口からは栄養剤兼治療薬を飲んでもらって、点滴をして。先日、再度胃カメラと造影CTをしました。十二指腸の腫れは引いておらず、針一本分くらいしか開いてない状態でしたので、もう一度病理検査をしたところ癌細胞が発見されました。病名はおそらく「膵癌」です。しかしお母様はペースメーカーがあるために、これ以上の詳しい検査ができず、原発がはっきりとしません。胆管なのか、脾臓、膵臓あたりなのか。ただ、病理検査の結果は膵癌の可能性が非常に高いとの結果でした。十二指腸の腫れの様子からかなり進行してるのではないかと思われます。そこで本来ならば癌の治療と言うと手術、放射線治療、抗癌剤治療となりますが、85歳と言う年齢とペースメーカーを入れ心臓がつよいわけでもなく、腎臓機能が著しく低下している状況。貧血の度合いもかなりひどいのでそれらを行う事で命を短くするだけで、辛い治療を行うことが果たしてお母様にとって良いことなのかとおもうんです。でも、本人やご家族がそれでもやってほしいと願われるならこちらとしては最善を尽くします。仮にそう言った手段を取らなかった場合は、十二指腸がこれだけ腫れてるので食べ物が通りません。水分だけです、通るのは。これも本人やご家族の希望があれば十二指腸にステントを入れて広げると食べられるようになるかもしれませんが、それもかなり負担がかかります。違和感があったり、金属で腸管に傷をつけて出血したり、感染症のリスクも高くなります。それをつけるだけでも危険を伴う恐れもあります。決してお母様の状況は楽観視できるものではないので…大変厳しい話ですが、まずは癌があること、それもかなり厳しいことをご理解いただいた上で、手術などの積極的な治療をするのか、しないのか、しない場合はステントやバイパスなど食べ物を食べるための処置をするのかしないのか?を早急に決めないといけません。お母様がここに来られて3週間が経ってます。膵臓は急変したり、急激に進行する癌なのでいつなんどき何があってもおかしくない状態ですから」

呼ばれた時からもしかしたら…と思ってはいましたが、実際に今の母の様子を聞くと姉と2人なかなか返答ができませんでした。
「厳しい話ばかりで驚かれましたね。大丈夫ですか?後一つ、本人への告知ですが、今、ご本人さんは毎日「いつから食べれるの?」になぜ自分はご飯が出ないの?」「早く退院したい」「なんでなんで」と自分の状況が分からずに不安ばかりが増強してる状態です。積極的な治療をする場合はご本人への告知は必要不可欠です。病気と闘うのはご本人ですから。お母様は比較的頭がしっかりされてます。受け答えもかなりできます。ご意志もお持ちです。記憶に関しては曖昧なところが多いですが。今は癌の告知をしても不治の病ではなく治癒されていかれる方もたくさんいらっしゃいますので、告知だけはすることが多いです。僕はなにも分からずに不安になってられるお母様に癌の告知だけはして、それとうまく付き合うことを理解してもらうのも良いと思うので告知だけしたいと思うんですが」
「でも、母はとてもメンタルが弱いので言わない方が良いかも」
「では、先ほど積極的な治療はされないとご家族は決められましたが、ご本人にお聞きしなくていいですか?」

どうなんだろ?
頭の中で、言わなければ母は何も知らない間にどんどん弱って亡くなっていく。私は辛い治療は可哀想だと思ったけど、本人はどうだろ?母の母、私の祖母は「一口でもいいからステーキが食べたい」と80代で手術をしてでも食べれるようになりたいと言った人だし、母も結構大胆なところもある。
私たちの勝手な思いで積極的な治療をしない選択をしてもいいんだろうか?母の人生は母のものなのに…

姉も同じように考えていたようで、結果的に告知はするけど、予後につきては一切話さないと言う形になりました。

母が呼ばれて先生が母の目の前でしゃがんで目を合わせてお話しされました。
「◯◯さん、この間僕が検査の結果話したこと覚えてる?」
「…あー、なんとなく?」
「なんで食べれないのか、話したけど覚えてるかな?」
「うーん、さあ?」
「そうか。覚えてないか。あのね、あの後◯◯さんにはまたしんどい思いをしてもらってもう一回検査したよね?」
「はあ〜」
たぶん、忘れてしまってます
「それで、お腹の中の十二指腸って管の腫れが引いたらご飯食べてもらおうと思ったんやけどね、やっぱり引いてないねん。あれだけ頑張ってジュース飲んで検査したのにね。それでもう一回細胞を取って調べたらね、あろうことか見つけたくないもの見つけてしまってんか。ここに癌があってん」
「はあ〜癌ですか…」
「うん、それのせいで詰まってしまっててんね。ご飯が食べれなかったんはそのせいやねん。ここまで分かる?」
「はあ〜」
「それでね、この癌ってやつを退治するには三つの方法があるねんね。一つは手術、それと放射線治療、抗癌剤治療。◯◯さんの年齢やペースメーカー入れてるし、腎臓機能も良くないから、これらの治療が最善かどうかはやってみないと分からんねんけど、頑張ってやってみる?」
「もうええわ。ここまで生きてきたし。今更しんどいのは嫌やし」
「しなくていいの?」
「もうええわ。痛いのもいややもん」
「じゃあ、やらないって事でいい?」
「はい」
「わかった。じゃあ次ね。いま、十二指腸が詰まっててご飯食べれへんやん。それを広げるためにステントってのを入れると食べ物が通るんやけど、これも人によっては痛みが出たり、出血したりするねん。でも、良い点はご飯が食べれるようになる。」
「はあ?やらなかったらご飯食べれないんやね?でも、痛かったりするんや」
「どうしようか?母が私の顔を見てきたので
「ばあちゃんのこと覚えてる?ステント入れて食べれるようにしてたやろ?あれと同じ事するんやて。」
「あ〜そやった。あの人ステーキ食べたいって手術したわ。いやぁ、私はそこまでせんでええわ」
「でも、しなかったらあのジュースやよ」
「必ずしもできるかどうかはすると決めた時ももう一度検査してからじゃないとできないかもしれんけどね」
「じゃあ、ずっーとジュースですか?」
「そやなぁ、とりあえず今はジュースで様子見て、ジュースも詰まって飲みにくくなるようなら、その時に考えるか?」
「はい、あのジュースで今はええわ。しんどいのは嫌やねん」
「吐いたり痛かったりずっとやったもんなぁ」
「そやで、私もう嫌やねん」
「急にこんな話やったから、びっくりしたなぁ。大丈夫か?」
「はい。よろしくお願いします」
母はお辞儀をして先生にお礼を言って先に退室しました。

そのあと、先生からの話で姉と2人でまた絶句してしまいました。

「原発が分からないのと、その部分の浸潤具合がはっきりしないので、余命などは分かりませんが、十二指腸があれだけ腫れているのはかなり進行してると考えられます。治療方針を早く決めたかったのもそう言うことです。このまま黄疸が出て、熱が出たりすると本来は胃からアプローチして胆汁をうまく流す方法をとりますが、残念ながらお母様は十二指腸が腫れてるのでアプローチして処置ができません。針を外からさして袋をぶら下げて胆汁をコントロールする方法もありますが、本人の苦痛が伴いますし、針は刺さったまんまで袋をぶら下げたまんまなので痛みが出たりします。あれだけ痛みやしんどいのは嫌だと言われてたので耐えれないと思います。もし黄疸が出たり、熱が出ると残念ですがもう何もできないと思いますし、その場合…1ヶ月ももたないかもしれません。それくらい膵癌は進行が早いです。それだけは覚悟しておいてください。厳しすぎる話になったので、お二方も辛いと思いますが、どうかお母様を支えてあげてください」

ショックでした。
父だけでなく母までも…
なんでそんなに一気に来るかなぁ
父を送って、そしてしばらくは母の介護1本頑張って、数年後に母を送るのかな?と思ってたので…

病室に行くと小さな母がベットに座ってました
「わたし、癌なんや」
姉が「いまはな、なんらかのガンを持ってる人なんていっぱいいるんやで。こうなったら、そのガンとうまく付き合うしかないねん。」
母の前にしゃがんで、母の手を持って
「びっくりしたな。大丈夫か?」
「そやな、大丈夫や」
「そっか。これからのことはわたしらに任せたら良いから。婆ちゃんはジュース飲んで点滴してもらって、痛かったりしたらお薬もらって、テレビ見て、またポカリとかも持ってくるからそれを飲んで穏やかにゆっくりしてたらええんやで」
「あんたにまた迷惑かけるやん」
「任せなさい!それくらい。」
「ここ出ていかんとあかんの?」
「そうなるかもしれんけど、その時はわたしらが動くから婆ちゃんは何も心配せんでも良いよ」
「おじいさんのこともあるし、あんたらに迷惑ばっかりかけてしもたな」
「かまへんよ」
「そんな心配せんでええ」
「頼むわな。おじいさんも」
「おじいさんはどうしてるんや?元気か?」
「おじいさんも食べれないのは婆ちゃんと一緒やで。栄養ジュースの味が飽きたって文句言うてるわ」
「そうかぁ」
「じいちゃんに会いたい?」
「あははは、いや、会いたくないわけではないけど、別に会わんでも」
(そういうもんなんか??)
「ジュース飲んでばあちゃんが落ち着いてたら、じいちゃんに会いに行こうか?」
「そやなぁ」
「ジュースがんばって飲みや。でも、今までいろんなところ行っておいて良かったなぁ」
「そやねん。わたしなぁ、ほんまにあんたに感謝してるねん。ほんまによぉいろんなところに連れて行ってもらったわ。よおしてもろた。色んな地方の美味しいものもあんたのおかげで食べれたし。悔いないねん。ありがとうな」

しばらく姉と母と3人で話して、遅くなったので帰りました。
家に帰ると堪えてた涙が溢れ出して。
ちょうどそこへ、友達から電話が。
「おばあちゃん、どうやった?何を聞いてきたん?」
話をすると友達も一緒になって泣きながら
「あんたな、よう頑張ったやん。あたしも近くでずっと見てきたからよくわかるよ。じいちゃんばあちゃんが元気な頃も旅行連れて行って。おばあちゃんら幸せやで。あんなよぉしてくれる娘おらんよ。」
「なんでも遠慮せんでも良いし、いいや。お姉さんは遠いしすぐに来れなくてもわたしなら近所やしすぐに行ってあげれるから。あんたがな、うちの母が亡くなった時にわたし1人で色んなことしていっぱいいっぱいやった時に、いつでもすぐに駆けつけてくれて助けてくれたんがホンマに有り難くて、感謝しきれんかったよ。嬉しかったしホンマに助かった。何かあれば夫婦で助けてくれたんやもん。わたしもいつでも手助けするからな。泣きたいとき、寂しくなったときはいつでも言うておいで」
「でも、まだ終わってないで!これからや。ちゃんと最後におじいちゃんやおばあちゃん送り出してあげや。それが最後の子供の務めやで」
「泣いてられんね。」
「そやで!あんたが2人の前で泣いたらあかん!泣くときはうちにおいで」
「ありがとう。」

友達と話をして、ちょうどその時に旦那さんから帰るコールがあり「ごめん、夕飯作ってないから、出かけよか」
「了解」
家の駐車場で待ち合わせると「なんや?ばあちゃんか?母ちゃん運転できへんやろ?外で食べるのもなんやから弁当でも買いに行こ」

車の中で泣きながら旦那さんに今日の話をしました。
「よお頑張ったやん。しかし、なんで一気に来るんやろなぁ。しんどいやろ?そやけどな、母ちゃんしかおらんねんで。お姉ちゃんと2人で最後まで支えてあげるしかないねん。順番や。ちゃんと順番なんやから、子供の最後の務めを果たしてやり」


ふう〜〜
長い話になりました。
暗い話ばかりで申し訳ないです。
あと何ヶ月なのか、人の寿命はわかりません。
こちらも人間なので、弱くなったりすると思います。泣き言のブログになるかもしれませんが、ご勘弁ください。

最後の子供の務め
精一杯頑張るつもりです

ここまで読んでくださってありがとうございました