12月の年末の夜。実家に帰るために母親に連絡したら体調が悪いとのことで父親が迎えに来ました。
母親の症状を聞いていたら、肝臓が悪いんじゃないか?という感じの症状が出ていました。
私は医療事務の資格を活かして少しの間だけ医療事務として救急外来で勤務したことあります。かなり前なので今はもう医療事務としては働くことは難しいけどね…。
入院中も暇すぎて解剖生理学やっていたし、健康食品の会社に勤めていた事もあって、医学の知識だけは多少あるんです。
実家に向かっている途中、母親に電話。次の日も仕事だから仕事行くと言う母親に説教して、とりあえず病院行って点滴でも打ってもらおう!と説得。
実家についてすぐ、両親と一緒に病院に行って検査してもらいました。明らかに血液データは肝臓の数値悪化していました。
詳しいとりあえず点滴して、詳しい検査ということでCTとかエコーとか撮りに母親はいろんな場所に回され…。
病院ついて2時間後、総胆管結石という診断が出ました。もちろん入院。
母親は出産以外入院したことないので、嫌がっていたけど…。入院診断出たんだからと説得させて入院手続きを取りました。
帰ってきたのは深夜2時。私の入院グッズを次の日持っていくことにしました。買う必要もないし、入院日数も少ないらしい。
内視鏡で手術をしたいそうなんだけど、年末年始ということがあって、一時的な治療しか出来ないということで、次の日詰まっている胆管にステント入れる手術をして、30日に一時退院してきました。
しばらく実家にいる事になりました。

元旦、私は彼氏のお家にお呼ばれしていたので、彼氏のお家にご挨拶に行きました。
みんなに可愛がってもらえてうれしかったなぁ。この頃に彼氏と本気で結婚を考えるようになりました。

1月4日。母親再入院して胆管に詰まっている胆石を除去する手術をしました。
経過は良好で、11日は退院することが出来ました。
退院してもすぐ仕事に行かせることは怖かったので、1週間は休ませて…。
母親が仕事復帰した次の日に自宅に戻りました。

25歳の年末年始。母親まで倒れるとは思っていませんでした。
この期間は自立支援センターもお休みしました。通院は行ったけどね。
主治医には無理だけしないようにとのこと。体調もよくなって、歩けるようにもなりました。
けどやっぱり、この期間は頓服の回数多かったかなぁ…。
順調に回復も始めていました。


あ、あと1月中旬にライブ行った!と言っても正確にはライブ参加はしてないけどね…(笑)
友達が名古屋に来るということもあって、会いにいくーって話はしていたんです。そしたらCDを買ったら握手会があってこれはライブ参加しなくても握手できるとのこと。
そんなわけで握手会のためにライブ会場に行きました!場所はライブハウスです。

で、ここで神対応が起きる。
開場中、握手会スタンバイの私は入口の前でライブ終了まで待つ予定でした。
スタッフさんに入らないの?当日券あるよ?と言われたけど、パニック障害あって、最近まで入院していたのでライブ会場の中には入れないんですって話をしたんですよ。
そしたら、スタッフさん…。本当はダメなんだけど…と言いながら、モニター前に連れてってくれて。
騒がないでくれるならここにいていいよって言ってくれました。しかもスタッフジャンパーも貸してくれて、椅子まで出してくれたの!!
騒ぎはしなかったけど、泣いた…。そしてタダでライブ見ていいのか?とか思ってしまったよ、私…。
泣いているからスタッフさんに心配されたけど、もう感謝しかないのね。
映像はモニターで、声は扉から聞こえる。すごく嬉しかった。
アンコールになって、ジャンパー返して握手会の位置まで待つことに。でもアンコールもモニター観戦した。
入院中、ずっとこのアーティストの歌を聞いていた。歌詞が共感できる曲とかもあって、本当に支えになってくれていた。
ライブの中には行けなかったけど、外のモニターでずっと見られたこと…。本当にスタッフさんには感謝しています。ありがとう。

握手会では入院中に支えになったよって伝えてきました。嬉しそうだったなぁ。
仲間にもこういう対応があったこと話したら驚かれた!そしてよかったねーって言ってくれました。
多分こんな対応があったことがバレたら大変なことになるんだろうなぁ。
仲間は口堅いからいいけど、他には言えない内緒の出来事でした(笑)


これで元気もらって、1月末に彼氏とUSJに1泊旅行行ってきました♪
大きなトラブルもなく、修学旅行生にまぎれながらいろんなアトラクション乗って楽しかった~。
USJから帰ってきて数日たったあと、彼氏と喧嘩しました。
元凶は彼氏の言葉でした。
1年付き合って、ご親族にもお会いしているのに…なんかハッキリしてくれなかった。
要するに、別れたいのか結婚したいのかハッキリしろってコトなんだけど…
今はまだ結婚する時期じゃないって半年近く逃げていたから、遊ばれているよーな気がして。

最終的には私の親と彼氏で話し合いをして、病気について理解をしてもらう機会まで作りました。
果たしてどこまで理解してくれるやら。あんまり期待は出来ないかもしれない。
このことについてはまた別の記事に書きます。

気分的にどーも低空飛行の波をアップダウンと繰り返しおこしていまして
結果的に1泊入院したり、救急車を何回か呼んで病院行きまくりしていました。でまぁ…ちょっと気分ダウンして危うい状況にまでなってしまいました。

けれど、失業保険で訓練校に行くことが決まったので、社会復帰に向けて歩み出しました。