今年の桜全線は猛スピード。

 

皇居内道灌濠の桜(数年前)

 

 

『おおおち(大御乳)さまと信長さま』デス。

 

目次 

 1、~4

の順に御読み下さい。

 

1.おおおち(大御乳)さまとは

2.吉法師さまのお乳(おち)になる

3.乳兄弟(ちきょうだい)、吉法師と勝三郎

4.乳兄弟(ちきょうだい)その後

 

  

 3.乳兄弟(ちきょうだい)、吉法師と勝三郎

大御乳さまと呼ばれた『みの』の胸の乳は大きく、普段、胸をさらしで巻いて隠した。

荒くれお侍さんがじろじろ見るだけでなく、

中には触ってくるお侍さんもいたから。

 

『みの』の乳首‘(乳頭)は、離乳後でも、乳房は大きかったのに反して

乳頭(乳首)は、娘のように小さかった。

 

吉法師さまも茶色の乳輪迄しっかり口に咥えて

扇動運動と呼ばれる舌の波動状態が器用で乳首から、流れるように母乳を引きだしたのです。『みの』の乳房の方から、あふれるように御乳が出てきたのです。

 

 したがって、乳頭に吸い付く力も必要なく、

乳頭には何の負担もかからなかったのでございます。

したがって『みの』の乳首は離乳後も、

娘のように小さかったのでございます

4.乳兄弟(ちきょうだい)その後

乳兄弟(ちきょうだい)は仲が良い。

吉法師と勝三郎は乳兄弟として、又近習としてすくすくと育った。

やがて吉法師は織田信長さま、池田常興として立派な武将になった。

織田信長さまは実力第一主義、親戚というだけでは、重要な城持ちにはしません。

 

信長の配下だった武将『荒木村重』は,信長に謀反を起こした
織田恒興親子は荒木村重退治で功を奏した。

 

有岡城の戦いに続いて、花熊城で荒木村重を追い詰めた。

 

この荒木村重退治で、池田常興親兄弟は信長さまの信任を得て、恒興は有岡城主、息子たちは武田掃討作戦に参戦する。

やがて孫の池田輝政は関ケ原の戦いで功をあげ、

家康さまから姫路城城主として、さらに池田王国を作った。

 

『みの』は『おおおち(大御乳)』として、

あがめられ、時の政権、織田さま、秀吉さま、家康さまの時代を、池田家及び、孫の輝政とともに生涯を終えたのでございます。

 

    終わり